日曜日は母の日だった。もう母も居ないので、何もしてあげれない。
芍薬も今年はたくさん咲いて、白いカーネーションがわりにお墓にお供えしてきた。
この芍薬は、お寺に行く道(お寺までドアツードアで1分半だが)隣の町会のお地蔵さんがあってそこの横に咲いていた芍薬をうちの庭に植え替えたものだ。
お寺の帰り道、ふとこのお地蔵さんにもお供えしようと思い立ち、家に帰ってまた、芍薬を切り花にして、また二輪お供えしてきた。



明日は父の月命日でお寺さんのお参りがある。今回はもらったピンクの芍薬とうちのアイボリーの芍薬を仏壇にお供えした。

今日、姉と母の話をしていたのだが一度ブログに書いたかも知れないが、私が幼稚園の頃、母が私を連れて家を出て行った事があった。強烈な記憶だ。その時、姉は盆踊りに行ってて姉は置いて行かれたのだ。
それぐらい我慢ならない事があったのだろう。
もう母の実家の両親は亡くなっており、実家近くにある母の姉の家に泊めてもらった。
その母の姉の家はよく行っていたので間取りも今もはっきり記憶に残ってる。
座敷の横の居間にひと組の布団を敷いてもらい、「この子おねしょするねん。」
私はビニールの敷物敷いて母と寝た。人のうちだからか?おねしょはしなかったことはよく覚えてる。
(まだ、母の姉は存命なのでまた、この話聞いてみようかな)

その後のことは何も覚えてないが
今日話を聴くと姉は、
翌日、父の弟がデパートの外商部に勤めていて、置いて行かれた姉の機嫌を取るためか?姉は父とそのデパートに行っておもちゃを買ってもらったらしい。姉は人形だと言うが私は確かままごとセットだったような記憶だ。

父は弟に嫁に出ていかれた話をしたのだろうか?そこは姉も覚えてないと言う。
でも、その後、父と姉は、母の姉の家まで迎えに行ったらしい。
「お父ちゃん、あの時、会社休んで謝りに行ってんね。」
そんな事もあったんだね。
子供が居ない頃は母はよく実家に帰っていたらしいけど、この家に帰ってくるのが嫌だったと母から聞いたことがある。

母は気難しい父に使えて本当に苦労してきた。
母は、友人たちと旅行やお出かけなど頻繁に家を空けて、わりと好きなようにさせてもらっていたけれど
色々物事が深く考えられる年齢になって当時の母の苦労が身にしみる。
母がもう少し長生きしてくれたら、やってあげれた事もあったかも知れない。
親孝行も出来ずに残念でしょうがない。