考えて考えて考えて
考えて考えて考えて…
わからないまま

父を見送りました。


父は
本当に生きたいと
手術も治療も
がんばった。
でも…

夏の初め頃
予定通りの治療を終えて退院した夜
副作用の影響で救急搬送。
そのまま緊急手術になって。
年齢や治療の影響で体力落ちてるなど
最悪の場合は術中に…
無事終えても
意識戻らないかも…と。

遠く離れた場所で
ただ待つしかなかった。

夜が明ける頃
無事終了。
意識も戻ったと。

そこから長く入院してて
術後で体力落ちてたり
病院のごはんがマズイ
副作用の影響あったりで
食べられなくなって
体力が落ちる一方で…

家で過ごす為に退院決まって
合わせて
帰省する予定で。

家に帰って来てからは
食欲も出て
顔色も良くなってた。
このまま体力戻れば
大丈夫かな…って
思ってた。

こんな事なら
もっと早く退院させればよかった。


おみやげ何がいいか
📱で話したり
アレが食べたい、
コレが食べたいって。

でも帰る少し前に
ヘルパーさんの判断で病院へ。
父は病院に行きたくないって
言っていたらしい。


それからあっと言う間で…
父もそんな風に自分が逝くなんて
きっと思ってなかったと思う。


入院してから
一人きりに出来なくて
その時が来てしまったら
一人ぼっでなんて絶対しちゃダメだって。
でも
そんな時でも
面会時間終了までだと。

病院選び、医者選びは
本当に大事だな、と。
患者は医者を選んでいいんだよね。
言いたい事は山ほどある。



頼まれた好きだったモノ
食べて貰えなかった。
もう…
私もこの先食べないだろうな…





先日、納骨を済ませ
未だに気持ちの整理…
というか
後悔ばかり。

ずっとずっと
涙こぼれないように
がまんした。

↑ここまで書いて
続きが書けず
もう今年が終わる…


去年は
最後のお正月になるかも…と
休みを取って帰省した。

おせちや
お雑煮作って
食べて貰えたから
ちょっとよかったかな。

実家に居る頃は
初日の出を
毎年見に行ってた。
だから
一緒に行くつもりで居たけど
起きて来なくて
一人で行ったんだったな…
前の日に
言っておけばよかったよ。
でも
もしそう言ったら
体調良くなくても
ムリしそうで
言えなかったんだ…
一緒に見たかったな。


毎日
こうすればよかった
孫も抱かせてあげられなかった
親不孝ばかりだったな
幸せだったのかな…
とか

寂しそうにしてた
後ろ姿ばっかり思い出しちゃって。

居なくなってから
考えたって遅いのにね。




日に日に
少しずつ少しずつ
旅立ちが近くなり
もうそんな体力ないはずなのに
握ってた手を凄い力で握り返して
体起こして
「ありがとうな」って。
ありがとうって
言ってなかった。

そう言えば
父が付けた私の名前
由来聞きそびれた。
今は割りと聞くけど
私が生まれた頃は珍しい名前で
それがうれしかったな。
自分の名前好きだもん。

一番最初に
親から貰うプレゼント
最高のプレゼントだったんだな。


こっちに戻る空港で
昔、父が出張帰りに
よく買って来たモノがあった。


夜中に家に着いて食べた。
ちょっと泣いた。

さみしくて
さみしくて
しかたないよ… 
こっちででかい地震があってから数日後、
父が救急搬送されてそのまま入院救急車
手術が決まって一旦退院したけど、
すぐ調子悪くなって再入院。
今は手術を終えて退院してるけどね。
完治ではないからね…

そんな話をした時、
「…それは…覚悟しといた方がいいんじゃないか?」と言われた。
うん、それは最初に思った。
でもさ、それってどうするものんだろ?

そいえば結婚する時、
実家から遠く離れてだったから義母にも
「覚悟はありますか?」て聞かれたな。

覚悟ナニ❓
するっどうするの❓

すっかり日常に戻ったけど、
地震は参った涙
停電長くてひとりだったから
夜明けに少しホッとして。
スマホ電池なくなるし
モバイルバッテリーは機種変したら差し込み合わず使えないし😢
誰とも連絡取れなくなって心細かった😢

この辺は停電以外は被害無かったけど、
色々と人の本質が見える出来事だったよ。