最近、深イイ話にハマっている。
実に興味深いです。
私も人生の半分くらいは生きているものとして深イイ話というのを一つや二つ持っていた方が良いのではないのでだろうかと考え始めた。
例えば
『悲しみはやがて寂しさと変わり、少しずつやさしさに変わる』
まあ、言ってる意味はよく分かりませんがとにかく深イイ話である。
そこで私も何か今までの人生において深イイ話に出会った事があるか考えてみました。
・・・
・・・
・・・
恐ろしい事に何一つ思い浮かびませんでした。
人に話した事もないし話された事さえありません。
私は考えた。
そもそも深イイ話ってのは人生において
何かの壁にぶつかったり
何かを失った時に
その姿を見ていた人が手を差し伸べてくれる時に出会うものだと思うのです。
って事はですよ。
壁に当る事を避け
何かを失う前に逃げ出すような
薄っぺらい生春巻きの皮のような人生を歩んできている私には深イイ話がないってのは必然と言う事である。
なので、人生にすっ転んでばっかいる人間臭い人は深イイ話をたくさん持ってる可能性があるのです。
うらやましい
一話よこせって感じだ。
この事自体に超がっかりである。
ただのがっかりどころではない超がっかりである。
ちなみに深イイ話ってには聞いた人がいつか同じように困った人がいたら同じような言葉で助けて上げる事ができるのです。
要は深イイ話ってには人から人へと語り継がれていくものなのです。
さて、語り継がれない私はどうすればいいのか?
1.これから真面目になって大きな壁に当たりながら深イイ話をされるのをひたすら待つ
2.人の深イイ話を聞いてパクり、あたかも自分の人生において語られたよう装う
二者択一です。
ピッ
ピッ
ピッ
チーン
2しかねえ!
まあ、私の事は置いといて、もし深イイ話をされた時がある人がいるのであればそれはあなたを認めてくれ、親身になって話をしてくれる人がいるって事ですよ。
そういう人は一生大事にしてくださいって事です。
うんこ