宝塚ブログで、わたくし事を書くのは憚られますが…
うちの職場では、定期的に担当業務を交替しています。
引き継いだ業務を整理すると、齟齬が見つかりました。
人間だからミスはあるある。
私が修正できる事なら、修正すれば良い話。
…ですが、次々見つかり、私には修正できない範囲も。
前任者に相談するも、
「言いたくない」
ミスの存在を、わざと言わなかったそうです。
更に、修正データを消されました。
事象をみると、イジメに見えます。
ですが、前任者はそんなつもり、さらさら無い。
前々任に教わった通り…忠実に『前例通り』おこなってきた。
「正しい事をしている」だけ。
勝手に変更する私の方が「間違ってて」、「アカン」ねんな。
(実際にそう言われましたしね)
それはさておき、ですよ。
前々任時代からミスが蓄積されていたら、膨大な数量です。
…が、前々任時代に遡及しても問題なし。
前任者時代、根本的な手順に一部変更が発生していました。
他地区はそれに対応しましたが、うちの地区は未対応。
それが原因でした。
変更もまた「あるある」
仕事に限らず、あらゆる面で。
むしろ時代が下ると共に、どんどん変化が加速しています。
教わった事を従順かつ忠実に守り抜く、不動の姿勢は決して悪い事ではありません。
そうやって守られてきた伝統や手法もあります。
何でもかんでも変えれば良いってものじゃない。
ケース・バイ・ケースです。
本件では裏目に出ましたが、前任者のような人がいたから守られてきた事や物はあると思います。
物事は一長一短。
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文春記事によると、劇団はパワハラを認め、謝罪の方向へ舵を切りつつあるとか。
ところが、宙組の組長とトップスターが謝罪に難色を示していると。
報道がどこまで事実か、それは判りません。
ただ、組長とトップの言い分を推察すると…
「今まで当たり前だった事、むしろ良いとされて来た事をしただけなのに」
…という思いがあるのでは…と。
前例や規則を守り、従って来ただけなのに。
(故人を長く苦しめたであろう)前任者たちは免れた。
(現任の)私達だけが責任を?
…うん。
理不尽ですよね。
…ですが、それが組織です。
組織で責任ある立場に就くという事は、毀誉褒貶どちらであっても、代表して受けとめる事になります。
ただ、タカラジェンヌの場合、(研6以上の)内実は個人事業主。
「事業委託された請負」さんです。
役員や正社員でもないのに、過分な責任を求めることは気の毒にも感じます。
とはいえ、実質的には正社員並みの縛りを課されているタカラジェンヌ達
(研5までは社員ですしね)
宝塚歌劇団は、阪急電鉄の事業組織の一部署。
その部署の「顔」がトップスターや組長。
…と考えると、一般的な「事業委託された請負」とは一緒にできそうにない。
今更、何を言っても遅いのですが、初動ミスが悔やまれます。
謝るとか、そういう以前のことです。
(責任者や代表者が)取りも直さず駆けつけ、協働してきた仲間の死を悼む。
それが出来たか、出来ないか。
それがとても、とても大きい。
生徒たちは「勝手な行動は慎むよう」指示を受けていた可能性も考えられます。
組織は、そういう縛りも厳しいですしね。
緊急事態は上長の判断を仰がずとも各自が自由に動けるよう、周知されていれば良いのですが。
仮に周知されていても、不慣れだとなかなか動けないかもしれません。
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思えば、96期イジメ裁判も「宝塚の当たり前」に疎い生徒に、詳しい生徒が「教えてあげた」
教えた方は親切心から。
連帯責任で全員が叱り飛ばされる恐怖もあったでしょう。
それが、どんどんエスカレート。
そこには、一人を生贄にして連帯意識を高めたり、ストレス解消もあったかも。
自分達は正しい事をしている。
そう信じているし、実際にそれが当たり前の世界。
ただ、一般社会では、そうではない訳で…。
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ローカル・ルールは必要性があって生まれたものが多い。
少なくとも、その集団ではそれを守らねば、生き辛くなる。
ローカル・ルールを守る事は、そこで生きていく為に不可欠。
それはずっと続いて来た伝統で、規範で、正義。
それを守って来ただけ、教えただけ。
まさかそれを責められ、(おそらく言下に)進退を迫られるなんて。
謝罪を嫌がってるというより、混乱が激しいのではなかろうか。
何が正しいのか。
何がおかしいのか。
己の感覚や判断基準がわからなくなってるのでは?
それは皆、同じように守ってきた事。
同じように経験してきた事。
それを何故、自分(達)だけが否定され、責められねばならぬのか。
もっと長い期間、もっと酷い事をしてきた人もいるのに?
なぜ己だけが罪人扱いされるのか。
…といった「納得できない」「理解できない」気持ちが渦巻き、整理できないのでは。
適切なカウンセリングを受ける必要があるかもしれません。
まずは気持ちを整理して。
段階を辿っていく道のりが必要なのでは。
変化を頑なに拒み、それでいて変なルールを勝手に新設できる、イビツさ。
(例:反省ノート)
「自主性を重んじる」という名のもとに、放置。
どれほど大きな組織も…いえ、大きな組織だからこそ、第三者の監視を入れる。
代表例としては、決算の監査システムがそうですね。
第三者の目を組み込むことは、犯罪抑止にも有効です。
代表例としては、横領やイジメですね。
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わたくし事で恐縮ですが、冒頭の事例。
私の手に負えない範囲も含め、すべて修正しました。
(また何か出てくるかもしれませんが、とりあえず)
さらに各地区の連携と情報共有を図るため、定期的に情報交換会を提案。
各地区担当者から賛同してもらいました。
もしうっかりミスしても、気づきやすい状況をつくれば良い。
人間だもの、間違うことはあるさ。
ミスに気づいたら、謝る。
修正できることは、修正する。
原因をさぐる。
対策を立てる。
…と分かっていても、なかなか大変です。
それでも手掛けるのは、放置したら、更に大変になるから…(ガクブル)
前任者の各種反応は、一種の自己防衛だったろうと推測しています。
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もし、松風さんや芹香さんが謝れないのなら、その要因のひとつは葛藤では。
「正しい事をしたのに、何故?」
「他の人達もしてたのに、何故?」
混乱するし、葛藤するでしょう。
10代半ばから音楽学校を含めて約20年、叩き込まれた『当たり前』
規範意識が高ければ高いほど、衝撃は大きいはず。
まず、そこから。
まず、そこを理解できるようサポートしては如何ですか、劇団さん。
バウ・ワークショップ案もナイスアイディアだと思います。
…が、まずは心理的混乱をほぐす必要があると感じました。
正しくあろうとした。
その姿勢は、真面目に懸命に生きて来た証。
その正義感が、ひとを追い詰めてしまった…。
とても根が深い問題だと思います。