【アメリカ大陸横断貨物列車】





アメリカのハイウェイを車で走っていると、

時々、恐ろしく長い貨物列車に遭遇することがある。

ツアー車は60マイル、だいたい100キロくらいで飛ばす。

日本の道より広く、それに周りがガードレールじゃなく野っぱらだから、

運転手のハンドルを持つ手も、いささか緊張がゆるむ。

初期のツアーマネージャのスティーブなんかは、スピードを固定して、

ブレーキを踏む足を残し、片方の足を上げ、時折後ろを見て親指をたてて

イエーっとやるので、何かと思い運転席を覗き込むと、

ひざの上にエロ本を置いて、それをめくりながら運転していた。

そしてオレ達も当然、イエーだ。

車内にはロックが流れ、オレ達はだいたい後ろのベンチシートで寝そべる。

寝たり、雑誌を読んだりだ。

たまに頭をもたげた時、貨物列車が並走している場面に出くわす。

その時、よほど眠くなければ、オレはだいたいシートに座りなおして、

首を伸ばしたり、窓に顔を近づけたりして、貨物列車を眺める。




まるで、アメリカのかつての古い背骨を見るようだ。

列車はだいたいハイウェイよりちょっとだけ高いところを走り、

ガタンガタン、硬い鉄の塊が長方形に繋がれ、ギーーーイ、ガタンガタン

レールを上を走っていく。

触れば鉄の錆が、ボロボロ剥げつきそうな貨物の横っ腹を

意識しながら車は走り、そしてゆっくりと抜いて行く。

映画なんかでは、よくあそこにもぐりこんで旅したりする場面があったり

するが、今でもそんな奴らはいるんだろうか?

運転手はいくら機械の電車で引っ張っているとはいえ、これだけの車両の

重量を引っ張って行けば、さぞ気持ちにも重量がかかって、

ブルドックみたいな顔で前方をにらみつけているんじゃないだろうか?

レールはカーブがゆるやかについて、その先がまったく見えない。

長い時間、並走を続けても抜ききることができない。

日本人の常識から、はるかに及ばない長さで、

いったいこの先に先頭はあるのかっとやきもきしていると、

ふと何かに気をとられ目をそらし、再び列車を見ると、道路と線路は

いつの間にか、離れ離れになったらしく「あれ」っといそいで首を

思う方向に向け目を凝らすと、列車の後姿を遠くに見つけ、

気持ち寂しく、その後部デッキとレールを見送る。

そして、毎回、毎回、毎回、いつも思う。

「なげえ‐ーーーーーー!」




この長い貨物を見ているとこんな事も思い出す。

幼い頃【侍ジャイアンツ】という野球アニメがあった。

主人公でピッチャーの番場蛮が、先輩のキャッチャーと、

確か雪山かどこかで特訓をして、魔球をあみ出す。

二人は巨人軍川上監督から、あみだしたらすぐに球場に駆けつけるようにと

至上命令を受けていた。

よって二人は、その日の試合に登板すべく、バイク二台で球場に急いだ。

バイクは雪山から町に入り、球場に近づくにつれどんどん混雑していく。

あせる二人は遂に、貨物列車が走る踏切りにつかまった。

その時、先輩のキャッチャーが番場を振り返り「貨物だ、長いゾ」と

言うやいなや、アクセルをふかし、隣の歩道橋をバイク二台で

上がって走って超えていった。

このシーンが子供心に印象的で、その時思った事がふたつある。

バイクで歩道橋!?

だけど、歩道橋走るくらいなら、貨物列車だろうが、待ってりゃあ

すぐ踏切りはあがる、そこまであせんなくても、だ。

アメリカで長大な貨物列車に驚く度に、このシーンがいつも頭によぎる。

やっぱり、歩道橋をバイクで走るなら、

このアメリカの貨物列車くらい長けりゃ、そりゃあわかるが、

日本の貨物列車だったら高が知れている、なにもそこまでしなくてもっと

思いひとりフっとおかしい気分になる。




一度のアメリカツアーで貨物列車には何度か遭遇する。

時には、遠い地平線を走る貨物列車を見ることもある。

それを夕焼けの中に見た時もあり、格別な記憶として焼きついている。

その長さは地平線のほとんどを覆っていた。

よく、教育テレビのみんなの歌などで、丸い地球の輪郭を汽車ポッポが

ぐるぐる回る簡単なアニメがあるが、まさにあれだ。

しかし、そこに圧迫感はなく、にじみ飛ぶオレンジ色の光につつまれ、

無言でゆっくり進む様には、過去の幻影を浮かび上がらせ、

まるで老兵のような哀愁があった。

かつては、アメリカ大陸を切り開いてきたというプライドを

持ちながらも、それも過ぎたことと、ただただレールの上を進んでいく。

どうも感傷がすぎるようだが、そんな想いを去来させる、

ひとつの決定的なアメリカの風景が、大陸横断貨物列車には

間違いなくあるのだ。

それにしてもやはりアメリカは広い、どひゃあ~だゼ。