【あっ穴!?】
半ズボンのポケットに手をつっこんだら、太ももから手が出た。
「あれ――――――!」
三万円がない。
生まれて初めての超大金。
中学の入学案内の日に、教科書を買う為に三万円を持たされた。
それを無造作にポケットに入れていたら、なんと穴!
飛び出して、街角、血眼だ。
家と中学の間をずっとうろうろした。
あの時の極度の集中感は、今でもこめかみに残っている。
探している場所は市内だったから、大人の足元に
何度もぶつかりそうになった。
大人達は、少し不思議に思ったかもしれない。
普通に考えれば、子供が道をキョロキョロしながら歩いていたら、
当然何かを探していると思うだろう。
もちろんその通りなのだが、あの時はいくらか常軌を逸していた。
頭を道につっこんで、凝視した様子は、
何かの観察でもしているのかと頭をかしげたかもしれない。
気がつくと辺りは夕闇に包まれていて、
オレはようやくあきらめて家に帰った。
「まず見つからないだろう」
父親の言葉にオレは呆然とした。
人がお金をネコババするからか、
現金はどこかに飛んで行き見つかりにくいからか、
はっきりは言わなかったが、たぶん前者だろう。
まだ自分の中では、きっと誰かが拾って
自分に届けてくれるような感じが残っていたが、
その言葉通りだった。
この3万円紛失事件は、落とした強烈な喪失感以上に、
もう一つの事も、より印象に残っている。
両親はオレを叱らなかった。
オレの血眼の要因のひとつに、叱られる恐怖も大に後押ししていた
はずであったが、叱られなかった。
小さい頃、オレはよく叱られていた。
でも落とした事はただのミスだと判断して、
オレの人格を攻める事ではないと思ったのだろう。
この事は、今のオレの何かに強く影響しているように感じる。
いやいや案外それとは全然関係なく、穴の空いたズボンをはかせた
母親が、アチャ~アと思った結果かもしれない。
ただ、家族はその直後、市内から山側の方に引っ越し、
自分は別の中学に入学する事になった。
つまり、その時の教科書を買う必要は無かった。
だから、その時落としたのは必然?と調子よく思う自分もいたが、
なかなかなあ、そんなにスパッと切り替わらなかった。
だから今でも三万円と聞くとほんの少しだけギクッとする。
そしてごくたまに、あの探した道が頭に現れて、
どこに落としたのだろう?と記憶の道をたどっている自分がいるから、
軽いトラウマだ。
嗚呼!三万円、もう二度と自分のポケットから勝手に落ちないでくれ!
ところが、落ちないように用心しても、大人になって持つお金には
すぐに羽根が生えるから、これまた大変だ。