【サンキュートゥマッチ】




生まれて初めてアメリカでライブをした年、

よ~く使った言葉が、アイワナとサンキューだ。

今でこそ外人としゃべる時、傍から見たらいかにも英語を

しゃべってる風に見えるとこまで来ているが、

最初はさっぱりだった。

だが、リーダーの自分が全て交渉しなければならない。

何をしたいかで、アイワナ~。

今思えば、やみくもに何の説明もなく、ただ「したい」「したい」の連続

で、さぞ、不快だったろう。

だがアメリカ人は親切だ。

その年は特に無類の親切を受けた。

日本は義理人情というが、義理などと言う約束事など関係なく、

アメリカ人はやってあげなきゃとなると、どんどんやってくれる。

初めて会う自分達に対して、あまりにもやってくれるので、

恐縮のサンキューの連続だった。



一発目のライブは、シアトルの北に位置するベリングハムという

町だった。

ガレージショックというイベントで、アメリカ中から

人が訪れていた。

決まっていたのはそのライブ1本のみだったが、

もちろん1本だけで終わらせようとは思っていなかった。

その後は、いろんなクラブに道場破りのように飛び込みで行き、

「頼もう~!」とギターをぶら下げ、

入り口で仁王のように踏ん張るつもりだった。

だがラッキーな事にその気合いを使う必要もなく、

最初のライブの後、いろんな客が自分達の町に誘ってくれた。

そしていきなり6本くらいが決まった。

思わぬ事態に少し調子に乗った感がある。

その一年目、誰かを怒らせた。

海外のライブハウスは日本と違う。

そもそもライブハウスとは言わずクラブもしくはベニューだ。

ステージにあるのはモニターのみで、アンプ、ドラムセットは必ず

各バンドの持ち込みだ。

日本のようにライブハウスが一式持っているわけじゃない。

最初の年、その事を知らず、

オレはそれを、激しい気合いのあるがままに日本同様

メチャクチャに扱った。

すると翌年、あるひとつの会場で、オレ達は出禁になっていた。

たぶん親切で貸してくれていたバンドが怒ったのだろう。

翌年その事がようやくわかり、その年はソーリーが多かった気がする。


客なんか来るかどうかわからないのに、

アメリカ人は、一生懸命いろいろ便宜を図ってくれた。

その度にオレはいちいち細かくサンキューだった。

だがそのサンキュー、もちろん人間として当然の事であるが、
実はその年、オレは言い過ぎて疲れた。

もうあまり言いたくないと思った。

そしてオレは思った。

「アメリカの人よ、見知らぬオレ達に本当にいろいろありがとう。

だがきっと逆に、オレ達が来てくれてサンキュー!

と言われるまでになってやる」

それから何とか、アメリカツアーはほぼ毎年続いている。



友人のバンドも増え、日本に来たいというバンドを

世話をする機会が増えた。

これも、最初に受けたアメリカ人の無類の優しさから始まっている。

そのおかげで、今ではもう世話をするとかじゃなく、

世界中に友人が増えていく楽しさを感じている。

そういうバンドがまたやってくる。

ひとつ言い忘れたが、それでも呼べるバンドは限られている。

やはりかっこいいバンドだ。

こいつらはなかなかすごいんだ。

ナッシュビルからやってくるゼ、ハンスコンドルが。




日米野獣戦線







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