【ニュー広島原爆ドーム】




数年前、姪の結婚式で広島に行った。

披露宴会場は宮島近くのホテルであり、姪夫婦の心遣いで、

式の後、親戚一同そこに泊まった。

でっかいホテルで1階にコンビニがありそこで買い物をしていたら

姪の婿のお父さんに会った。

お互いお酒とつまみが目的で、自分とは結構歳が離れていたが、

酒飲みはこういうタイミングのこんな場所で会えばもうおしまいだ。

姪夫婦の結婚をさらに祝おうという気持ちも相まって

「部屋飲みでもしますか!」

とお父さんの兄弟2人も加わり自分の部屋で酒盛りが始まった。

珍しい取り合わせのせいか、お互いの盛り上げ魂に火がついて

飲みは深夜まで及び、最後は部屋の外まで千鳥足が千鳥足を見送った。

翌日、まだ眠い(まなこ)のまま「おはようございます」とみんなで朝食を済ます

やがてホテルの前で解散となった。





このまますぐ東京に帰るかどうしようかと思ったが、

ツアー以外で広島に来ることもなかなか無く、

まだ午前中だと言う事もあり、やはりなぜか原爆ドームに向かった。

かつてギターウルフが初めて広島でライブをした時、

その昼間にメンバー等と訪れて以来だ。

あの時は、あまりのショックでもう二度と来ないと思ったが、

それでいてそのショックが薄れていくのも気にかかりまた来てしまった。





キノコ雲がでっかい爆発音と共に360度のパノラマに映し出される。

「1945年8月6日、広島で何が起こったか」

音楽が流れアナウンスがされる。

資料館は以前と違いすっかりインターナショナルな雰囲気にリニューアルされていた。

そのせいか外国人の数がかなり多い。

入る前に背の高い外国のカップルが資料館の足元にペタリ崩れるように

座っていた、涙ぐむ女の人を抱えながら彼氏も爪を噛みながら

遠くの方を眺めていた。

わかるよ、オレも以前見た後メンバーと共にそんな状態だった。

やはり心して見なければという思いを強くして館内に入った。

だが「う~ん!?」

次第に戸惑う気持ちが心に広がる。

十何年前に受けた衝撃がこない。

綺麗にディスプレイされた陳列物、原爆ドーム天井部分のモニュメント、

所々でアナウンスされる丁寧な説明、瓦礫の中を歩くようなデザイン、

すべてに洗練されていたが、その分衝撃が薄まっている。

伝わり方が強くない。

資料なのにアトラクションの要素が強く入っていると思った。

思えば入り口のパノラマに映し出される原爆の映像もそうだ。

最初は素晴らしいと思えたがどうも違う。

リニューアルの工夫のすべてが恐怖を和らげるクッションとなっていて

目の前の展示物が以前より迫真を持って迫ってこない。

昔の資料館は地味だった。

その分強烈だった。

いきなり登場する人形が怖かった。
なんだか全体がカビ臭い感じもしてジメジメしている雰囲気だった。

しかしあれこそが生の恐怖を伝える最良の方法だったのかもしれない

失礼!広島市はより多くの世界の人達に原爆の悲惨さを伝えようと

決死のリニューアルだったと思うが、自分はそう感じてしまった、

申し訳ない。

でも昔の資料館の素朴さを受け継いで欲しかった、世界の為に。




姪夫婦は今東京に出てきている。

先日、婿さんのお父さんとお母さんが広島からやって来られて、

新宿のレストランでみんなと会った。

あの夜の絆のせいか、会った瞬間から絶好調にお酒をガブガブいった。

終いにはすべてごちそうになり、またもや帰りは千鳥足だ。

お父さんとお母さんは翌日、広島に帰っていかれた。

広島は自分にとっていつも特別だ。

かつて小学校の頃に住んでいたと言う事もあるが、

強烈な衝撃を受けた場所でもある。

その衝撃が多くの人達に伝わることを願いたい。