昨日は長男が通う中学校の合唱コンクールでした。
区立の大きなホールでするのですが、生徒が多いため、1階席、2階席は生徒、保護者は三階席です。
長男は保護者達に、ちゃんと聞いてほしいから、保護者席を1階にしたら良いのにと言います。
 
それに対して、私はこう言いました。
合唱コンクールは学校行事で、教育目的である。生徒同士がお互いに聞き合うことが、勉強になる。保護者はその行事を見させてもらってる過ぎない。保護者に披露する場ではないのだと。
そのことから、今年の表彰の話題になりました。
 
合唱コンクールは、学年ごとにクラス対抗で優劣を競い合います。
各クラス課題曲と自由曲を唄います。課題曲は学年で共通です。
自由曲は先生が選択した数曲の中から、各クラスが希望したものを唄います。
同じ曲を希望するクラスが複数の場合は、話し合いにより調整するようです。
 
今、高1の娘のときは、各学年、金賞、銀賞、銅賞が一クラスづつ、指揮者賞、伴奏者賞が、それぞれ、最優秀賞一人、優秀賞二人?出されていたと思います。
それ以外に、クラスごとに自由曲のイメージ画を出展し、それに対しても、最優秀賞、優秀賞が出ていたと思います。
 
ところが、今年は、各学年、全クラスが金賞、銀賞、銅賞のいずれかを貰えることになりました。
指揮者賞、伴奏者は最優秀、優秀の区別がなくなり、優秀賞が数名に与えられました。
イメージ画についても、各クラスどれかの賞が貰えるようになりました。
 
それと、3年生全クラスから唄の上手い生徒を選抜した選抜者の合唱がなくなりました。
 
残念ですが、とても、意義が薄くなったと思います。
定期テストでは、科目ごとの得点分布、合計点の学年順位をつけ、きっちり優劣をつけます。
しかし、合唱コンクールは今年から、全クラスに賞を与えることになり、優劣が曖昧になってしまいました。
 
ふと、振り返ってみれば、今年に運動会から、得点を競う種目が減ったような気がします。また、全員リレーという、クラスの全員が参加するリレーができました。
変わった種目でそれはそれで面白いと思っていました。また、長男がクラス全員のタイムを見て、走る順を戦略的に検討し、それが採用され、練習では1位、本番では2位を取ったこともあり、良い印象でした。
 
でも、今振り返った見たら、全員リレーは、全生徒をリレー選手とするためではなかったのではないかと思い至りました。
 
長男とも話しをしましたが、人は誰しも得意不得意があり、何が得意であるかは人によって違う。あることが不得意であっても、それはそれだけの話しで、その人自身が劣っているわけではない。
人は得意不得意が色々で、それぞれが得意なことをして行けば良い。各自が得意なことを仕事をすることで、社会の様々な仕事が成り立ち、社会が成り立つのだと。だから、物事にはっきり優劣をつけることは悪いことなのではなく、むしろ好ましいことなのだと。
この点、長男は既に良い理解できていたようで、安心しました。
しかし、学校教育の場で、優劣を曖昧にするというのは残念です。
 
大人になり社会に出れば、日々、優劣がつけられているようなものです。その優劣が収入にもリンクします。ですから、学生のうちから、優劣を付けられることに慣れるためや、得意不得意は人それぞれであることを理解するためにも、テストだけではなく、運動会や合唱コンクールでも、はっきり優劣をつけて欲しいと思います。