今朝は町内清掃でした。いつもは町会の役員として参加するのですが、今朝は違う立場で参加しました。

 

長男が通う中学校では地域活動の一環として、生徒たちは自分が住む地元の町会活動に参加するよう言われています。そのため、長男は毎月の町内清掃に参加することを指導されています。それに対応して保護者は年に最低1回、町内清掃に子供と参加することを求められています。今月は長男の保護者として参加を求められている月でした。そのため、私は長男の保護者として参加し、中学生たちと清掃活動をしてきました。

 

毎月の清掃活動で思うのは、町内にはとても沢山ゴミが落ちているということです。歩道の排水口の近くにはタバコの吸い殻が沢山、落ちています。火がちゃんと消えてなくても排水口の近くならば、火事になりにくいからでしょうが、そもそも吸い殻を捨てるという行動が分かりません。

 

歩道には歩道の生け垣のなかには、吸い殻の他に、コンビニおにぎりを包んでいた包装フィルムや、食べ終わったお菓子の袋、コンビニのレシート、ジュースなどの空き缶、空のペットボトルなどが落ちています。飲みかけのペットボトルや缶ジュースが落ちていることもあります。

 

生け垣に捨てるのは自分が捨てたゴミが見えなくなるので、罪悪感が少し軽減されるからでしょう。それでも不思議なのは、ゴミを小さくしていたり、ゴミを一式をレジ袋に入れて口を結んで捨てていたりするのです。無造作にゴミを捨てる人は本当にたちが悪いと思うし、どうにかして欲しいです。しかし、ゴミを小さくしたり、まとめたりしている人は、そこまでしていて、何故、持ち帰るなり、町中のゴミ箱に捨てないのかということです。幾ら、ゴミを処分しやすくしたとしても、最後、歩道の生け垣に捨ててしまうのであれば、それを処分することになる他人に迷惑が掛かるだけです。ゴミをまとめたりできるなら、最後はちゃんとして欲しいです。

 

清掃から帰宅した後、図書館に用事があったので、自転車で行こうと住んでいるマンションの駐輪場に行きました。
そうしたら、私の自転車の前かごに飲みかけの紅茶のペットボトルが入っていました。本当に不快です。なぜ、そんなことをするのでしょう。

まず、飲みかけなので、紅茶がもったいないです。駐輪場なので、捨てられた人も処分に困ります。

 


ペットボトルを見て、私は暫し考え込んでしまいました。何でこんなことするんですかね。

ペットボトルの中身は歩道脇の排水口に捨て、殻になったペットボトルはバラして、マンションのゴミ捨て場に捨てました。ちょっとしたことですが、少し気分を害し、少し時間を取られました。


本当に何で、飲みかけのペットボトルを他人の自転車のかごに入れるんですかね。こんなことをする人って、自分が同じことされたら、どんな気持ちになるのでしょうか。嫌な気分にならないのでしょうか。そんなこと分かっていても、自分の知らない人になら、平気ってことなのでしょうか。