越 洋  平成24年3月3日



ヨーロッパの中世。「百年戦争」でフランスはイギリスに連戦連敗、その時「救国の乙女」がフランスの勝利の扉を開いた。ジャンヌ・ダルクその人である。

今年がちょうど生誕600年に当たる。彼女は平凡な農民の娘で、社会的地位も学歴があったわけでもなかったが、その行くところ連戦連勝であった。有名な「オルレアン城」の戦いで敵に包囲された城にジャンヌ・ダルクが到着した。戦おうとしない城主に、ジャンヌは「憶病者は、一万人の兵隊があっても、城から打って出ないでしょう!」と。この彼女の「確信」が城主を動かし、城兵を動かし、歴史を動かした。「一人立った」一念の力が、不可能を可能にした歴史的瞬間であった。


しかし、教会の権威の絶頂期にあって、彼女の「確信」は教会から「異端者」の烙印を押され、火刑台に焼かれる運命になった。


 いつの時代も、革新的な存在を消そうとする勢力の根底にあるのは"嫉妬"である。宗教的権力者は自分たちの言葉が絶対であるとし、権威権力で新しい正義の芽をはぎ取ろうとする。まさに日顕が池田名誉会長の想像を絶する偉大なる世界広布の大貢献の姿に嫉妬し、破門という現代における宗教的抹殺を計ったことに類似している。


日顕、日如には信心も行動もないくせに、供養を浪費して遊興に耽る堕落の姿を現じて来た。世俗に染まり過ぎて法主にはなってはいけない者だから、達師も相承しなかったのではないか。


日如は今年1月3日、講頭たちを前に「入信者の育成に取り組め」と大号令をかけた。しかし現場は、折伏と登山と供養の無謀なノルマに苦悩している。
日如は「折伏をした人を放っておいてはいけない」と言うが、長い間、折伏も育成もしないで、学会に頼り切っていた宗門に、人を育てることは出来ないし、今更、何を叫んでも説得力はまったくない。


ジャンヌは「なぜ戦うのか?」との問いに「フランスの『悲惨』を救うためです」と言った。私欲でも野心でもない。自らが絶対と信じた使命に殉じただけだ。哲学者アランは、その乙女を「意志の奇蹟」と呼んだ。


創価三代の会長が「いまだ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」の金言の如く不惜身命、死身弘法の実践を貫き、幾多の難と闘った故に、世界広布が現実のものになった。今の宗門には民衆の「異の苦」を受ける信心も覚悟もないばかりか、信徒を蔑視し、苦しめることしか能がない。こんな宗門には、宗祖の御遺命の広宣流布など千年待っても出来ない。










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