フェイク 第1280号 (発行=12.03.06)


「阿部一族に流れる暴虐の血」
日顕の息子・信彰の凶暴な体質を糾弾 ④
講員の制止も聞かず改革僧や青年を殴打




 阿部信彰は信徒の前で見せる顔と裏の顔が全然違う。


 特に、多額の供養が目論める信徒には猫なで声で挨拶し、目上の者の帰り際には姿が見えなくなるまで深々と頭を下げる。その反動は即、所化に向けられ、振り返りざま中啓で叩かれる。


 その変わり身は「ジキルとハイド」よりも激しい。勿論、信彰がジキル博士ほど立派でないことは言うまでもない。


 ジキル博士は薬を飲むことで残忍な醜男のハイド氏に変身するが、信彰は腹の虫の居所で変身するから厄介だ。瞬間的に激高し残虐性をむき出しにする。


それを象徴する出来事がある。


 平成十一年十月三日、改革同盟の松岡雄茂(幹夫)氏と男子部員四人が、信彰が住職を務める東京・府中市の大修寺を訪問した時のことである。


 訪問の目的は都内などでバラ撒かれた「大白法」号外(平成十一年八月十日付)のシアトル事件に関する記事について、日顕の息子として事件の真相をよく知る信彰の真意を質すためであった。当初、同寺の受付で面会を求めた松岡氏らに対し、二階の本堂から降りてきた信彰は「おう、松岡、何だ」と鷹揚に声をかけ、受付前で議論に応じながら法要を終えて帰る法華講員を笑顔で見送るなど、ごく普通の態度であった。


 ところが、その光景をビデオカメラで撮影していた男子部員に気がついた途端、信彰の態度が一変。突如として激怒し、その男子部員に近づくや、手にした中啓で何度も男子部員の手や頭を殴打。これが異常極まる暴行劇の幕開けだった。


 暴力で一行を玄関の外に押し出し、荒れ狂う信彰に大勢の法華講員が「先生、止めて下さい」と何度も止めに入ったが、信彰は狂ったように男子部員たちを素手で繰り返し殴り続けた。


 一人の部員には髪の毛をつかんで引きずり回したうえ、何発も拳骨で殴りつける非道ぶりであった。


 松岡氏にも「この松岡、雄茂、雄茂、 おまえは誰の弟子だ」と喚いていたが、松岡氏から一喝されると、白目をむき、同氏に顔をこすりつけて激高した。


 男子部員から「暴力を振るうなら袈裟衣を脱ぐべきです」と抗議されると、信彰は何を勘違いしたのか、一旦、寺に戻って袈裟衣を脱ぎ捨て、白衣姿で再び猛然と殴りかかった。


 この騒ぎに信彰の妻・信子も、またいつもの暴行が始まったと言わんばかりに引きつった顔で傍観し、二人の所化も呆然と立ち竦むばかりだった。


 信彰の暴行により、松岡氏らは胸部痛、頚椎捻挫、打撲症など全治約一週間の傷害を負わされた。


 信彰の、解離性同一性障害(多重人格)の症状はさて置き、阿部一族には三代にわたって暴虐の血が流れているようだ。


 祖父の日開は五十八世日柱を法主の座から追い落としたクーデターの首謀者。


 父の日顕は瞬間湯沸器のニセ法主。そして信彰の暴力と、畜生の命は争えない。


 日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と教えられた。


 身内の法華講員も呆れる暴行体質の信彰。この男には、法主どころか、末寺の住職としての素養、資質の片鱗もない。それ以前に人間失格である。

(おわり)




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