フェイク 第1286号 (発行=12.04.05)



宗門、かつて「友人葬の本義」に賛同
昭和四十三年に学会と本山が協議し合意
宗務院幹部も「大聖人の根本精神につながる」と




 日蓮正宗では「正しい信仰のすすめ⑦」として「葬儀について」を作成して大日蓮出版で販売している。ここには「本宗僧侶の導師により、読経・唱題等をもって故人の成仏を祈念します」等々と書いており、そこには学会が推進する「友人葬」「家族葬」に難癖をつけようとの魂胆を窺い知ることができる。


 ところが、今から四十年以上も前の昭和四十三年に創価学会と日蓮正宗総本山との間で塔婆、葬儀、シキミなどについて協議し、そのうち葬儀に関しては、必ずしも僧侶を呼ぶ必要はないという「友人葬」に宗門は同意していたのである。


 この点について池田会長(当時)は同年十一月度本部幹部会でこう明言した。


 「御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだれに御経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化をうたえる人であり、合理化の先駆者なのです。だから、もし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、先駆をいくのだ、といっていいのです」「葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です」


 このように「友人葬の本義」に宗務院幹部が賛同し、本部幹部会で発表された。



 まだ塔婆については「従来まで人によっては五本も十本も供養してきたケースもありました」として、その必要はないと述べ、「こういう細かなことをいうのは、大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性、近代性であるからです」「でないと、世間の人達が日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がった既成仏教と同一視してしまう可能性さえある。わざわざ世間の人の不信を買い、法を下げる結果を招いてしまう」と指導した。


 更に「線香とロウソクの場合も、絶対に使わねばならぬという理由はありません」と語った。この他、会長はシキミや仏壇に対する基本的な考え方についても言及したが、今号のテーマである葬儀とは直接、関係が無いので、改めて述べることにする。


吉田日勇に確認せよ


 会長が述べた葬儀や塔婆の在り方については、総本山も「大聖人の根本精神につながった考えです」等々と同意していたのである。

 これらの事項は日顕あたりも当然、周知の筈である。

 都合の悪いこと故、忘れたとは言わせない。

 当時の役僧、元渉外部長の吉田日勇は病で足を切断したが、まだ存命であり、宗務院の役僧らは即刻、確認せよ!


 この当時は最近のチョボチョボ登山とは違い、学会員が毎日、奉安殿を何度も埋め尽くすほどに登山し、宗門は経済的に充分に潤い、葬式や塔婆供養など当てにする必要は無かった。


 しかし、学会と決別し僅か数万の法華講員が、約千人もの坊主を養う現状では、窮迫の一途である。


 供養が欲しいために葬儀では坊主の祈りが不可欠であるかのような騙し文句を書いたチラシを一枚十円で法華講員に売りつけて配布させるのが宗門の手口だ。



 姑息な手段で存続を謀る宗門の魂胆と衣の権威への執着は時代に逆行する。



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