フェイク 第1288号 (発行=12.04.17)




日如、日顕は勤行嫌いの懈怠坊主
天に唾する「大白法」の難癖を嗤う ㊤
「宗門の五座三座は日昇法主の時から」





 学会制定の勤行について、法華講の機関紙「大白法」四月一日付が「手抜き行」「懈怠」「怠慢行」と罵り、「事行の肝心たる行体を簡素化して、どうして信心修行が語れようか」等と非難している。


 また日顕宗の無知な坊主共は、五座三座の勤行が七百年来の伝統だと言い、少しだけ宗史をかじった習い損ないの坊主共は、日寛上人が加賀の信徒・福原式治に与えられた書状を挙げて、日寛上人の頃には確立していたと主張する。


 だが、日顕自身は以前、
「私ども小僧の時には全部、長行を読んだのですよ」と言った後、勤行の変遷を述べ「今のような形で勤行をするようになったのは、第六十四世水谷日昇猊下の時だった」と述懐した。


 この日顕の話でも明らかなように、日昇法主の時に五座三座の所作に変わったにすぎないのである。


 「大白法」編集人は学会の勤行について難癖をつける前に、宗門の紆余曲折した勤行の歴史を学び直せ。


 次に「大白法」は「いかなる理由があろうと、信心修行をなおざりにしてはならない」と勤行の実践を強調しているが、これは日如、日顕に対して言う台詞だ。


 ニセ法主の日如は、昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」で次のように指弾していた。少々長くなるが紹介する。


 「あなた(日如のこと)は、どうして信仰の基本である勤行を平気でさぼるのでしょうか。本山に午前八時に出発する時でさえ、朝七時からの勤行をするのを見たことがありません。また、夕方来客があると、午後六時からの寺の勤行もせず、客と一緒に外食に出掛けてしまいます。そして、その外食先は常に高級な料理屋や一流ホテルであり、綱紀自粛を徹底すべき立場にありながら、その分をわきまえない身勝手さは目に余るものがあります。


 その他、あなたは庶務部の仕事にかこつけて、何の理由もないまま勤行をさぼります。在家の方々は、仕事を終えてから信心活動に出掛け、睡眠時間を削りながら勤行唱題・折伏の実践に励んでいるのです。


 在家の方々のそのような苦労など、到底あなたの理解を越えるものでしょうが、いずれにせよ、あなたのような不埓な人間に、純真な御信徒を教導することなどできるはずがなく、指導教師の資格など全く無いものと断じる」と側近く仕えたが故に氏の言は重く厳しい。


 日顕もニセ法主の座に三十年近く居座り続けたが、夜の勤行をしたのは僅か一度だけという懈怠ぶりだ。


 大石寺では六壺で毎日午後四時から夜の勤行を行うのを常とする。だが、日顕は「大奥で色々な仕事があって忙しい」と理由を付けては欠席をしたが、一日だけ発心したことがあった。


 昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信心根本でなきゃいかん」と言ったものの、勤行したのは、その翌日の一度だけ。同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。


 かつての奥番・山澄信玉が「御前様が勤行をしないんだ」とボヤいていたのは有名だ。「大白法」は二人のニセ法主に勤行するよう進言せよ。「隗(かい)より始める」のが肝心だ。




$紅蓮の破邪顕正ブログ-fake_1288