フェイク 第1289号 (発行=12.0419)



勤行しない坊主・寺族・法華講員
天に唾する「大白法」の難癖を嗤う ㊦
阿部信彰が「金にならないお経はあげるな」




阿部日顕、早瀬日如の二人のニセ法主が勤行嫌いの懈怠坊主であることを前号で具体例を挙げて指摘すると、多大な反響があった。「勤行しない坊主は日顕と日如だけではなく、末寺では住職も、ほとんどの寺族も勤行をしていない。特に甚だしいのは勤行が出来ない坊主もいた」という仰天するような情報が改革同盟の僧侶をはじめ各関係者から次々と寄せられた。



 以下は主な証言である。青年得度七期の諏訪雄践は寺族で大学卒業後に出家したが、まったく勤行が出来なかった。この醜態は寺族でありながら勤行をしていなかったことを物語る。


 次に改革同盟の成田雄伴氏の話によると、高野法尊は相撲好きで、大相撲のテレビ中継を欠かさず観戦する。そのため場所中の夕方の勤行は、方便・自我偈もそこそこに、唱題はたった十遍だったという。

「大白法」四月一日付では「布教も学問も事務も、勤行を手抜きしてよい根拠にはならない」と書いているが、実態は布教、学問、事務どころか、坊主でありながら、相撲のテレビ観戦のために勤行を手抜きしている。こんな高野法尊のような怠け坊主を「大白法」はヤリ玉にあげるべきだ。


また、神戸の法恩寺にいた冨田慈龍は、朝の勤行はするが、夜は晩酌して勤行をしなかった、と語るのは渡辺雄範氏である。


夜の勤行をしない理由として「日顕猊下も本行寺の住職だった時は、朝だけしか勤行しなかったんだ」と弁解していた。


冨田は日顕が本行寺にいた時に在勤していたので、日顕の懈怠ぶりを誰よりも良く知っていた。都合のよい言い訳である。


また、改革同盟の押田雄勤氏が岐阜・経説寺に在勤していた時、住職の殿原法正が勤行したのは一年間で十回にも満たなかったと語っている。普段はまったく勤行しない男が寺の住職とは呆れるばかりだ。



「勤行させなくてよい」と菅野修道



同じく植松雄増氏が、茨木・安住寺に在勤していた時に菅野修道の娘(小学生)に一緒に勤行した方が良いと話したら、菅野に「勤行なんか、させなくても良い」と怒られたという。


これだから寺族は大人になっても勤行できないのである。


土井雄育氏がある日、たまたま火葬場で学会の人に頼まれて読経・唱題して、寺に戻るのが少し遅くなった。阿部信彰に事情を説明すると「ただの御経をあげるな」と怒鳴ったという。


読経も金儲けのためだから「日蓮商宗」というのだ。


坊主が勤行しないから法華講員もしない。それを物語る象徴的な出来事があった。昭和四十七年二月、学会が願主となって大石寺近くの妙蓮寺に宿坊四ケ坊が完成。新築法要で講頭や総代らは最前列にいたが、勤行はできない。終了後に揃いも揃って足が痺れで転倒。口々に「日頃は勤行していないから」と苦笑していた。


学会の出現以前、法華講に勤行の習慣はなく、末寺も朝だけ方便・自我偈ですませていた。学会員の姿を末寺も法華講も真似するようになったが、今も勤行を怠ける坊主共に、他教団の勤行を批判する資格はない。





$紅蓮の破邪顕正ブログ-fake_1289