フェイク 第1303号 (発行=12.06.19)



折伏の不得手な坊主が低劣講義
日顕宗の大石寺で "雨期 "講習会の第三期
「大聖人直結」の批判など的外れの悪口に終始





 日顕宗の大石寺で十六・十七日の両日、法華講員を対象とする夏期講習会の第三期が実施された。初日から雨に見舞われ、参加者は冷たい雨にうたれて濡れながら山内を移動する「雨期講習会」になった。

 堕落坊主三人が異口同音に折伏を強要し、発破をかけた初日の内容は「十年一日の如く」で、一時限目は石井信量が「異体同心で御命題達成」、二時限目は盛岡窮道が「破邪顕正の実践」、最後は新井契道が「折伏前進の方途」をテーマに、それぞれ折伏について檄を飛ばしていた。


 このうち「破邪顕正の実践」は「今こそ創価学会員を折伏しよう」との副題があり、昭和五年の学会創立から宗教法人の取得、第一次と第二次宗門事件の経緯を述べ、更に、証拠も記録も証人も全て無い日顕の相承を正当であるかのように誤魔化して「大聖人直結」「御書根本」の学会の路線を非難。また、日顕の「大御本尊は偽物」との暴言を棚に上げ、学会が大御本尊を誹謗したとか、日寛上人書写の御本尊はニセ法主が認めていないから「ニセ本尊」等と的外れの批判に終始。学会員に対する折伏として①組織的に具体的な方策を立てる②慈悲の一念 ③唱題の実践 ④諦めない、等と打ち出していた。


 この石井、盛岡、新井の三人の共通点は、自分では折伏は出来ないが、人一倍欲が深いことである。


 石井は以前、大石寺の蓮成坊にいたが、女性問題や巨額の不正蓄財疑惑が噴出して本山にいられなくなり、今は信證寺(東京・北区)にいる。日顕の内弟子の一人で、管財を担当しながら温泉豪遊、芸者遊びにも同行していた。かつては蓮成坊の庫裏に総額で数億円ともいわれる骨董品を数々並べ、熱海には約二億円もの温泉付き別荘を女房のナツ子と共同名義で手に入れた。


 私腹を肥やすのは熱心でも折伏は出来ない、というのが宗門関係者の話である。


 盛岡は学会の中で育ち、昭和四十一年に得度。衛三坊、大分県日田市の法柱院(後に法柱寺)、弘法寺(山口県)を経て、現在の妙輪寺(大阪市)住職になった。


この坊主は行く先々で嫌われ、特に、大分にいた当時、盛岡の横暴な言動に対して寺の従業員から告発されたこともあった。


 その主な内容は、盛岡は金銭欲が強いが、御宝前の供物は粗末にして野菜類は腐らせて捨てることが多く、米の供養は、別の講員に横流して金銭での供養を催促していたという。折伏は不得手で脱講した人から一喝され這這(ほうほう)の体で逃げ帰ったという。


 新井は以前、本山・妙住坊にいて大石寺理事だった。当時も「登山者の弁当は、もっと小さくしろ」と吝嗇(りんしょく)に余念がなく、平成十五年に千葉・真光寺に異動した。


 金の亡者ぶりも同様だ。ある葬儀の際、喪主が二十万円の布施を渡すと、新井は「何だ、これは?」と吐き捨てるように言い、三十五日と四十九日法要の後も真夜中に電話をかけてきて供養の催促をする始末。この法華講員は堪忍袋の緒が切れて脱講した。


 講習会は初日の強欲坊主の戯言と、二日目の日如の下手な講義で終了したが、辟易した約四千人の受講者は、疲労困憊で下山した。



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