フェイク 第1310号 (発行=12.07.15)



日顕は坊主・信徒に「伏せ拝」強要
検証 日蓮正宗は何が間違っていたのか? ④
伏せ拝の仕方が悪い端坐合掌の所化に暴行




「日顕本仏論」の邪義を宗内に蔓延させたニセ法主の日顕は、坊主や信徒に対して「伏せ拝」を強要するまでに増長した。法主のいる「大奥」に詳しい人の言によると、日達法主は在勤者や従業員などに分け隔てなく気軽に接し、労いの言葉と共に自分の好物だった羊羹などを、お裾分けしてくれたという。


片や、日顕は人間らしさや気遣いなどは微塵も無く、如何に己を尊大にみせるかに腐心した。


 その一つが「伏せ拝」の強要である。その仕方が気に入らないと、殴る蹴ると荒れ狂うから始末が悪い。


日顕の暴力沙汰は珍しいことではないが、正本堂の中で御開扉の直前に袈裟・衣の姿で所化に暴行を加えた事実は特筆される。


時は日顕が「盗座」して三年目の昭和五十七年。正本堂番の石田説道は日顕を出迎えるため、待機していた。日顕が踏ん反り返って入ってくる姿を確認した石田は、膝を曲げて屈(かが)む「端座合掌(たんざがっしょう)」の姿勢で出迎えた。


日顕は、その石田を目に捉えた瞬間、癇癪玉を爆発させ、鬼のような物凄い形相で襲い掛かった。


「何でお前は他の者達と同じ『伏せ拝』ができないんだッ!」


罵声を浴びせたかと思うと石田の首根っこをムンズと捕まえて、自分の傍に引き寄せ「ゴツン」「ボコッ」「ビシッ」「ボコッ」と無抵抗の石田に肘打ち、膝蹴り等々、立て続けに激しい暴行を加え続けた。


とても「戒壇の大御本尊と不二の尊体」と言われる坊主のする行為ではない。日顕の正体は、犬畜生にも劣る暴行魔である。


こうして日顕は散々、暴行を働きながら、何食わぬ顔で導師席に座って御開扉の導師を務めたのは、信徒を欺くに等しい。


この時、石田は「一等学衆」という所化であった。


その後、「訓導」になり、二ヶ月間だけ衛二坊に勤務したが、日顕は「お前は頭がないんだから、体で奉公しろ」と冷たく言い放ち、四国の讃岐本門寺の寂れ果てた塔中に追いやった。


以来、法善坊、中之坊、西之坊と同寺の宿坊を転々としている。


僧階だけは昨年、権大僧都になったが、今も讃岐本門寺の宿坊で不遇をかこつも、僧籍離脱もできずにいる。石田の胸中は、いかばかりであろう。


また、東京・江東区の妙因寺に日顕が来た時、日顕の帰り際に所化が伏せ拝をしていた。その伏せ拝の仕方が気に入らなかったのか、日顕が「この野郎」と叫び、思い切り蹴り上げ、居合せた人達を震撼させた。


日顕が「日達上人の御霊前で、伏せ拝をさせないとお誓いした」と弁解する者もいるが、日顕の行為を見るとウソだと分かる。



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