フェイク 第1312号 (発行=12.07.31)




七百年も怠惰を貪り続ける法華講
法華講連合会、衰退を物語る五十周年大会
宗門外護に徹した学会を裏切った日顕一派





 日蓮正宗大石寺は七月二十二日、法華講連合会結成五十周年記念大会を創価学会が建立寄進した大講堂で開催した。早瀬日如、阿部日顕のニセ法主二人のほか、全国の坊主の代表や法華講員が参加した。


 連合会の結成は昭和三十七年七月三十一日。この日、五千二百余人が集った大会では、創価学会を模範に広宣流布への前進を開始することを約し合った。


 以来、五十年を経過したが連合会は発展するどころか、衰亡の一途を辿り、今大会の結集も厳しいために代表参加と言い繕い、結成時より四千人も少ない千二百余人の参加者数だった。


 登壇した日如、壮年部長の篠田泰夫、副委員長の星野浩一郎、委員長の永井藤蔵は異口同音に折伏と育成の檄を飛ばしていたが、看過できないのが「経過報告」と題する篠田の話だ。


 篠田は結成当時の状況など何も知らないのに次のように語っていた。


「長い間、待ち望んでいた総登山が昭和三十七年三月二十四、二十五日の両日、実施された」と述べたあと「当時の背景の一端を伺えば、その翌月、四月二日には総本山に大客殿の起工式を迎え、大躍進を続けていた創価学会が、全国の寺院でそれぞれ信行に励んでいた法華講をも飲み込む勢いであった」


 篠田は法華講が学会に吸収されないために連合会を結成したかのように巧妙に仄めかしていたが、これは篠田の捏造である。


 学会の戸田第二代会長は法華講も学会と同じように折伏するよう助言。池田第三代会長も総講頭の立場から法華講の発展に心を配り、東京と関西に法華講会館を建立寄進するなど尽力した。


 この二代・三代会長の助言、激励、配慮を無視して、相変わらず折伏も供養もしない法華講を活性化したいと、当時の日達法主が願って結成されたのが法華講連合会なのである。


 同法主は、結成大会での話の中で、法華講員は福島、東京、金沢、大阪等に点在していたに過ぎなかったと述懐したあと、大戦後、折伏が盛んになった経緯に触れ、次のように指南した。


「時あたかも創価学会が出来て、正宗の信徒の集まりとして大活躍をせられまして、益々、この正宗の発展を来たし、今日また法華講員もそれに従って……」と法華講も学会に従って折伏するよう日達法主は期待した。そして結成大会で掲げられたのが「今日よりは広宣流布へ大前進」などのスローガンである。


 法華講連合会は篠田が言ったような経緯ではなく、学会を見習えとの日達法主の強い思いである事は自明の理である。


 また、篠田は「長い間、待ち望んでいた総登山」と臆面も無く言っていたが、これもウソである。何百年間も本山に参拝する意思など無かったのが法華講で、戦後、総本山が農地法で田畑を失い、生活に苦しんでいた時、法華講の講頭らに窮状を訴え、講費を一世帯から五十円を納めてほしいとの宗門の要望も拒否したのも法華講である。


 法華講が見捨てた大石寺の苦境を救ったのが戸田会長である。昭和二十七年、会長就任の翌年に登山を開始し平成二年まで外護は続いた。学会を弊履の如く捨てた日顕は忘恩の徒である。





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