フェイク 第1337号 (発行=12.10.23)


日顕宗は「井の中の蛙」教学
日顕の手先「邪義班」の低レベル文書を嗤う
論点を逸らそうと無関係の愚問を羅列




 無知蒙昧の日顕は、改革同盟の松岡幹夫氏から突き付けられていた「百六箇抄」講義に関する二十五項目の質問に全国教師講習会で回答せよ、との糾弾書に対して回答不能に陥り、姑息にも小僧共の邪義破折班(以下は邪義班と記す)に稚拙な小冊子を作らせ、自らは狡猾に遁走した。


 この日顕の対応を見届けた松岡氏は「阿部日顕の教学は創作である」と題する文書を作成し、主要な宗門寺院に送付し総括した。同文書は、日顕教学の欺瞞を暴き出しており、本紙第1333号で松岡氏の完勝、日顕の完敗を宣しておいた。


 すると今度は、邪義班が「松岡幹夫は正々堂々と返答せよ」という愚劣な文書を送りつけてきたという。


 松岡氏の質問には何一つ満足な回答も出来ない邪義班が質問者に対して「返答せよ」とは笑止千万!


 この邪義班の文書を一瞥する機会があったが、まず、感じたのは、相変わらず法主本仏論の弊害と、東大で博士号を取得した松岡氏への学歴コンプレックスが滲み出ており、更に、松岡氏対日顕という構図ではなく、学会にも相手をしてほしいとの邪義班の魂胆が伺える。


 また、邪義班は松岡氏の質問に対して「破折し尽くした」等と述べているが、学術的な反論ができないため「恥知らず」「山犬」「狂人」等と罵るだけだ。日顕譲りの野卑言辞の教学は世間では通用しない。


 特に、日蓮大聖人が叡山の学僧・二階堂伊勢法印との問答に際して日目上人に相手をさせたことを例に挙げて、日顕の逃避を正当化しようとしている。


 だが、これは大聖人が問答から逃げられた訳ではなく、日目上人に破折を任されたのだ。松岡氏の糾弾に回答不能の日顕と大聖人とを同列に論じるのは牽強付会であり、邪義班が悩乱している証左である。


 更に、御本尊を漫然と誤写した日開の謗法行為を手紙の前略の「略」の異体字で誤魔化そうとしているが、噴飯ものだ。日開を父親、誤写を指摘した小笠原等を子供に喩え、子供に深い話をしてもわからないから、日開は一応、折れたフリをしたのだと言う。だが、事実は逆。相承書の掟も知らずに漫然と本尊を誤写した日開が、宗内の学僧から子供のように叱られたのだ。


 このほか、邪義班は論点をスリ替えようと、歴代会長の発言等を取り上げて無関係の愚問を並べているが、これは日蓮正宗時代の話で、血脈が断絶した日顕宗に対する評価とは違う。かつて日顕も学会を絶賛していたではないか。


 また、松岡氏の文書の中に「学徳」という言葉を見つけて「高学歴と知識を自慢している」とは滑稽の極みだ。以前、宗門の僧であった花野充道博士が、日顕の私塾・富士学林大学科を非難していたが、邪義班文書はレベルが低すぎる。


 花野博士は学林大学科を出た後の大学受験は学力が無くて困難と指摘。そして「盲信盲従を強要されて社会に害を及ぼすことのないよう、賢明に生きることを学問は教えています。それが私のいう、今日の『疑の学問』」と強調している。


 学問軽視の日顕の「井の中の蛙」教学では社会に害毒を流すだけだ。邪義班は現代人に法を説けるよう正規の大学で学び直すがよい。



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