フェイク 第1341号 (発行=12.11.07)



折伏できない布教部長が恫喝
日蓮正宗の阿部一族に流れる暴虐の血 ③
信彰の締め上げに苦しむ末寺は誤魔化し成果





 日顕宗のニセ法主二世・早瀬日如が阿部信彰(常在寺)を布教部長に任命した理由について、宗門関係者が次のように語っていた。



 「阿部信彰は宗務院庶務部長としては全く無能で使いものにならなかったが、宗内の僧を恫喝し、各末寺に信者勧誘のノルマを課して締め上げる役には適任だからです。(日如は)早瀬日如の愚かな暴挙によって激減した信徒を少しでも回復させたいという思いから、平成二十七年までに法華講員五十%増、三十三年までに八十万人という目標を打ち出しました。こんな大風呂敷は出来る筈もありません。それでも、(日如は)信彰に発破をかけさせることで、無理にでも目標を達成させたいという狙いがあるのです」



 かつて宗門には布教監がいて小笠原のように散々、宗内をかき乱した。今は全国布教師が「布教講演」と称して登山した講員を対象に説教するばかりで、布教の役目は果たしていない。


 打開策として日如が新設した布教部長なる役職は、信彰には最適任であるが、全国の末寺坊主やノルマに苦しむ信者にとっては恐怖以外の何物でもない。


 信彰は折伏も出来ず、妙国寺では新来者にも鼻であしらわれた程で、教学力も指導力も皆無である。ただ日顕譲りの短気で凶暴な性格は広く知られている。


 信彰の異常な暴力によって傷ついた住職や所化は多く、失踪、還俗した者もいる。今は浄源寺の住職になっている木内信随は、大修寺(東京都府中市)時代、日頃から信彰に鼻血が出るほどの酷い暴行を受けていたため、信彰の前に行くと条件反射で鼻血を出すようになっていた。



度重なる悲惨な事態に、信彰のいた大修寺は所化達の間で「阿鼻叫喚の大修寺」と喧伝され、忌避されていたのである。


 だが、所化よりも酷い地獄の苦しみを味わってきたのは信彰と結婚した信子だと言われ、その暴行の目撃談は数知れない。


 平成十一年十月、改革同盟の松岡幹夫氏や学会男子部員に対する暴力行為は本紙前号でも触れた。平成二十年十一月、信彰は里内信徳(当時は北海道の得成寺住職)を大石寺に呼びつけて吊し上げた。激高して蹴り上げた机が里内に当たり「左膝打撲、内出血、左膝蓋骨骨挫傷で約一カ月の安静、加療を要する」との診断が下された。


 被害者の里内が「住職罷免、擯斥」という重科を負わされたのに対して、加害者の信彰は「厳重注意、十日間の職務停止」という片手落ちの軽い処分だった。


 また、香川・讃岐本門寺の横田智研を隠居に追い込んだのも成果主義の信彰である。本門寺に乗り込み、布教部長の権威を振りかざして無謀な折伏を強要したのが原因だったという。



信彰の恫喝に怯えた全国の末寺は詐欺まがいの折伏で成果を競い、幽霊講員を増産している。


 信彰は己が常在寺の目標を二百と低めに設定し、八月に達成。益々、鼻息荒く末寺を締め上げている。


 以前は信彰と一緒に各地へ出掛けて発破をかけて回っていた清涼寺(千葉市)の野村慈尊も今では恫喝の対象になっている。


 今後は水増し成果が一段と横行し、日顕宗の惨状が浮き彫りになるに違いない。



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