フェイク 第1342号 (発行=12.11.13)




室町時代、売却されていた大石寺
検証 日蓮正宗はこんなに間違っている ①
日亨上人 「三人の僧が売っちまった」と言明





日蓮正宗大石寺の第五十九世・堀日亨上人は昭和三十二年十一月二十三日に逝去され、今月で満五十五年になる。同上人は全国各地を回って古文書の研究を続けて「富士宗学全集」「富士宗学要集」「身延離山史」「熱原法難史」「富士日興上人詳伝」などを執筆して宗史を鮮明にされた。


それまでの宗門は大聖人門下の正統を主張し、宗史に疑義を持つどころか殊更に美化し、創作した宗史で信徒を隷属させてきた。


日亨上人は無欲恬淡で、日常も「少欲知足」に徹し、猊座にも執着することはなく、宗門の中では稀有な高潔の僧であった。


日顕宗と化した宗門に大学匠である日享上人の尊い事跡を讃嘆する坊主は見当たらない。真摯に学ぶ姿勢が失われている証左である。


特に、日顕の言動は不遜極まりない。平成四年八月、全国教師講習会の際「堀上人がね、チョットわけ分かんないようなこと仰っている」と暴言で批判したことがある。


活字では雰囲気が伝わらないが、侮辱した口調で言葉を続け「堀上人はね、学者だから……だから、あんまり会通がないんです」と冒涜したのであった。


また、日顕は堀日亨上人が編纂された「御書全集」は宗門の伝統を無視している、とも非難していたが、こうした発言は碩学の日亨上人や日有・日寛上人を超える「中興の祖」として名を残したいという日顕の醜い魂胆が透けて見える。



日亨上人の崇高な御生涯を理解し、最大に讃嘆したのは学会の戸田二代会長、池田三代会長である。同上人の代表的な著作となった「富士日興上人詳伝」は昭和二十四年七月の「大白蓮華」創刊号から昭和三十年一月号迄の五年半にもわたって連載された。



日興上人の足跡を詳細に研究された日亨上人(写真)は「戸田さん(二代会長)から『日興上人詳伝』の連載を書いて欲しいと言われた時は嬉しかったよ」と述懐されていたという。



この連載の後、「大白蓮華」の昭和三十一年十一・十二月号に「堀上人に富士宗門史を聞く」が掲載され、この中で第九世・日有上人の頃、大石寺が売却されたことが述べられている。その言葉を抜粋して紹介する。


 「しょっ中、日有上人は全國を行脚してござったんだから、寺には相當の代官がおいてあった。(中略)慶舜という人と日有上人が懇意で、ときどき行かれたらしいです。慶舜に會うたびに、日有上人は、大石寺の跡のことを次のように話されたという。つまり三人の代官をおいた。しかるに、三人の代官がグルになって、大石寺を賈っちまったということが書いてある。それで日有上人が歸って、三人を追拂って、そして、ほかの代官をおいたなんていうことが書いてある」


 これら代官は阿闍梨号をもつ僧だったという。今の日顕と同様、開祖の御精神を踏み躙った高僧がいたのである。この一事でも宗門の謳い文句が如何に糊塗されてきたかが分かる。日享上人の遺した偽り無き宗史に学ぶ事は多い。(つづく)