フェイク 第1343号 (発行=12.11.15)



有師が大石寺を廿貫で買い戻す
検証 日蓮正宗はこんなに間違っている ②
売却されて六年間は「謗法の処」に




七百年の歴史を美化した日蓮正宗は宗開両祖の威厳を利用して、信徒に対し法主へは信伏随従を、僧へは従順たれ、と強いる。法主への阿諛追従が常態化した僧共は、広宣流布の使命を放棄して、信徒の浄財で遊蕩三昧に耽っていながら、正法を守り、伝えてきたと自画自賛してきた。


ところが、七百年の宗門史は決して誇れるようなものではない。日目上人の死後、早くも日道・日郷の抗争が始まり、その後も造仏読誦の十七世・日精、相承を受けずに御本尊を書写した十九世・日舜、浅間神社に御本尊を下付した三十三世・日元、相承をしないまま遁走した五十三世・日盛、国柱会の謗法者に御開扉を許可した五十五世・日布、本尊を誤写して謀略にも長けた六十世・日開など驚嘆する法主が続出した。


これら不祥事に加え、第九世・日有上人の時代に役僧が大石寺を売却した事件を前号で紹介した。


この「大石寺の売却事件」について、堀日亨上人は次のように述べられていた。


「ええ賈ったということね。それは日有上人の條目をおいて書いてあるのもですね、大石寺を賈ったという事は書いてある」


この売却事件の全容を知る資料は少ないが「有師物語聴聞抄佳跡・上」には次のような文がある。


「此の冨士大石寺は上行所伝の題目弘通寺の元にて候、柳袋の彦次郎地頭方より得銭をかけられて候間、此大石が原と申スは上代地頭奥津方より永代を限り十八貫に買得にて候処を、公事迄かけられて候事、末代大切なる子細にて候間此の沙汰を成ぜんが為メニ三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を捨て除き候間六年まで謗法の処に成リ候間、老僧立帰り高祖聖人の御命を継ぎ奉り候、さ候間一度謗法の処と成り候間、又地頭奥津方より廿貫ニ此の大石を買得申し高祖聖人の御命を継キたてまつり候と仰セ給ヒ候巳上」



 この「有師物語聴聞抄佳跡・上」について三十一世の日因は「南条日住の聞書なるべし或ハ日有上人ノ御直記なるか」と記しており、同書の記述は信用できる。


 それによると「大石が原」は十八貫で買ったものだったが、日有上人の不在の時、留守居役の三人が売却して「六年」の間、「謗法の処」になっていた。そこで「老僧(日有上人)」が立ち帰って「廿貫」で買い戻された。


 この当時の時代背景を日亨上人は「大白蓮華」誌上で詳細に触れられており、「大石寺売却事件」は事実だと分かる。


日興上人が断腸の思いで身延を離山し大石寺を開創された心情は「原殿御返事」に遺されている。


日亨上人はこれを精読され、長らく膾炙されてきた身延離山の誤謬伝説を排し、真相を確立されると共に身延を離山するに至る日興上人の志操堅固な心情と真意を汲み取られた。真摯な日亨上人故である。大石寺に跋扈する曾ての守銭奴坊主や、今の奢侈隠逸な坊主には理解不能も当然である。


 日亨上人の研究により、熱原法難や身延離山の真実が明白になった。賞賛に値する御遺徳を日顕は「堀上人の教学は浅い」と非難して止まない。嫉妬の裏返しである。真の宗史を黙殺してはならない。(つづく)




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