フェイク 第1344号 (発行=12.11.18)



日開が多くの末寺を売却・処分
検証 日蓮正宗はこんなに間違っている ③
破壊魔・日顕と親子揃って法滅の妖怪




 日蓮正宗は宗史七百年の伝統を自慢するが実態は謗法に塗れ、「日蓮正宗」の宗名も紆余曲折を経て今年でやっと百年に過ぎない。この宗名については改革同盟の松岡幹夫氏の著書「日蓮正宗の神話」にも詳述されている。



 大石寺と要法寺が「日蓮宗興門派」に所属していた明治十一年に、身延派などが「日蓮宗」と公称したことに危機感を覚えた興門派は、自分達も正統性を示せるような宗名に変えようと、興門諸山から意見を募った。その時、要法寺が出した案が「日蓮正宗」だった。



 この時は採用されなかったが、大石寺が興門派から分離独立後、明治四十五年六月七日、要法寺に無断で「日蓮正宗」を名乗り、今日に至っている。「法盗人」ならぬ「宗名盗人」である。


 概して宗名に「正」とか「真」「真理」等と付けるのは、亜流の弱小教団や異端邪説を高言する輩が常套とする手段で、日蓮正宗も例外ではない。


 明治から大正時代の大石寺の教勢は日蓮宗系の中でも最低レベルだった。明治三十七年の内務省調査によると、日蓮宗(身延派)が寺院数三千六百八十五、住職二千九百八十二人、檀・信徒百八十四万五千三百八人。これに対して、富士派(今の日蓮正宗)は八十七ケ寺、住職は四十七人で檀・信徒は五万八千人。


 現在の法華講の総数とほぼ同数であり、百年経っても全く増えていないことになる。


 また、文部省宗教局による大正末期の調査記録では日蓮正宗の寺院数は百十六ケ寺で明治期よりも二十九ケ寺が増え、住職は四十八人、教會・布教所は二十六ケ所となっている。


 昭和六年末には各宗派が文部省に「寺務報告」を提出した。それに基づいた同省の「寺院住職及教會布教所數」という記録によると、日蓮正宗の寺院数は六十九ケ寺、住職は五十一人で、教會・布教所は四十一ケ所となっている。


 驚くべきことに、大正末期よりも寺院数は四十二ケ寺が減少。寺院、教會・布教所を合わせると大正末期が百四十二ケ所(寺)だったが、昭和六年には百十ケ所(寺)で、三十二ケ所(寺)も減っている。


 日顕の戸籍上の父・阿部日開が、日亨上人を退座に追い込んで六十世になったのが昭和三年六月で、退座したのが同十年六月であるから文部省に「寺務報告」を提出したのは日開である。



 三十二ケ所(寺)は売却したとの見方もあり、その責任は当然、日開にある。


 室町時代には高僧が大石寺を売却し、近年には法主が末寺を売却・処分。日顕に至っては正本堂、大客殿をはじめ多くの重要な建造物を破壊した。日開共々、法滅の妖怪というべきだ。



 なお、「大石寺売却」に関して、かつて学会側文書での指摘に対して宗門は反論不能だった。「慧妙」の「売却といっても名義変更のみ」「当時は無造作に売買手続きができた」との賢しげで不得要領な屁理屈には失笑した。大石寺の留守居の僧が金を受け取り売買手続きで「名義変更」したのを「売却」というのだ。



 学会寄進の末寺三百五十六ケ寺はいまだに宗門名義である。破門した時点で速やかに学会名義に戻し退去するのが筋である。今こそ理非曲直を正す。(つづく)




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