フェイク 第1347号 (発行=12.12.08)


「驚嘆スヘキ戦果 感謝ニ堪エス」と訓諭
開戦の日に想う 軍部に媚び諂った日蓮正宗
時の法主・日恭は大石寺の大火の中で焼死




きょう十二月八日は昭和十六年(一九四一年)に日本軍がハワイ・真珠湾の米軍基地を攻撃し、約三年半に及ぶ大戦の火蓋が切られた日である。この日、当時の法主・鈴木日恭(六十二世)は「宗内一般」に対して「訓諭」(下に掲載)を発した。その冒頭、日恭は「本日米國及英國ニ對シ畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵ニ恐懼感激ニ堪エス」と述べていた。


 宣戦布告について「恐懼感激ニ堪エス」、つまり「恐れ多くも感激した」という。法主自らが「訓諭」で日本が戦争を始めたことに感激したと明かしていたのだ。


 更に、日恭は「訓諭」の中で「幸ヒ帝國ハ御稜威ノ下忠勇無双ノ陸海軍アリ既ニ戦端開始第一日ニ於テ驚嘆スヘキ戦果ヲ挙ケラル我等感謝ニ堪エス」とも述べていた。


この「御稜威」とは神格を有する天皇陛下の威光という意味であり、「現人神」の下にある陸海軍が開戦日の十二月八日に多大な成果を挙げたことに「感謝」し、海軍機動部隊による真珠湾への奇襲攻撃の戦果を「驚嘆スヘキ」と喜んでいたのであった。


 そして「本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉體シ 佛祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ信行ヲ奮ヒ(中略)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ 右訓諭ス」と結んでいる。


「聖慮」、即ち「現人神」である天皇陛下の考えを戴いて「佛祖ノ遺訓ニ基キ」、つまり、日蓮大聖人の教えのままに戦争に勝利するよう呼びかけていた。


この他、僧自らが伊勢皇太神宮の神札を受容したばかりか、信徒にも神札を受けるよう強要したのをはじめ勤行の御観念文の改変、御書の要文の削除など宗旨建立以来、未曾有の大謗法を犯した。


その結果、終戦二か月前に大石寺は客殿をはじめ主要な堂宇を焼失。日恭は大奥の食堂の竃(かまど)に嵌まって焼死した。その姿は、上半身は真っ黒に焦げ、下半身は生焼け状態だった。

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この日恭の焼死を宗門側は「覚悟の自殺」と説明したが、竃に入って自殺する者などいない。酒豪が高じ腹部がビヤ樽状に変じた日恭は逃げ遅れたのであり、明らかに大罰の現証である。


国をあげて戦争へ突入していった時代とはいえ、軍部権力に媚び諂った日蓮正宗には、大聖人の末流を名乗る資格はない。



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