差別って。


差別って根強いですよね。

最近、日本の精神科病棟の社会的入院が人権問題にあたると、法改正されたそうです。
でも、結局受け入れる場がなくて、入院していた病院の一部を住居にするという、??の法改正。

結局、社会は、病院になってるじゃん。


社会的入院というのは、退院後受け入れる場所がないから、それじゃこのまま入院してましょう、というのが、社会的入院。すなわち、超長期入院で数十年とか一生もある。
退院できるのに、帰る場所がないから、入院を継続している。


日本の社会的入院の長さ、数は異常。



その背景は、結局、差別、偏見なんだろうなーって思う。

なんで日本だけなんだろう。

マスコミがその風潮を作っているの?
日本人の根強い価値観?
欧米の個人主義と対になる、日本の人の評価を気にする文化が仇になってるの?


看護師をしていて、看護師による精神科の患者さんを差別・偏見・軽んじるような発言を多々耳にする。正直ショックでした。看護師も人間なのはわかるけど。。


私はツレのうつのこともあるから、!!って敏感になって、内心腹が立っている。




それ偏見でしょ!って。




看護師ってどんな職業?って。
こんなときは、流石に自問したくなる。
悲しい現実。
いつもは目をつぶるけど、今日は目を開けてみる。

精神科に勤めていた看護師さんですら、精神科に勤めている親・兄弟がいる人ですら。
話す内容の細部に埋もれてる偏見。



精神障害も見えない障害。
脳で起きてる障害。
見えないから差別してもいいの?
当人や家族だって苦しんでる。


いつか変わって欲しい。
マスコミの方どうか、俳優さんとか女優さんとかタレントさんとかがどうか、
どうかキャンペーンしてください。
一切合切、変えてください。
差別が引き起こす悲しい現実をなくしてほしい。










数週間前に、言友会(吃音症のセルフヘルプグループ)からのメーリングリストで、
吃音を発達障害に含む分類があるということ、
厚生労働省に連絡したら吃音症は精神障害で障害者手帳がとれるということ、
メーリングリスト上で、言友会の方々がいろいろ議論を巻き起こしていたみたい。
忙しくて全部は読めなかったけど。

吃音者の方の多分大方は、吃音は言語障害すなわち身体障害と考えていて発達障害や精神障害に含まれるのは寝耳に水だったみたい。


私もその考えは、わかる。


身体障害か、精神障害かと聞かれれば、身体障害だと思う。
だって言語の障害。思考の障害ではない。




一方。
多分、役人からすれば、吃音という言語障害は、発達上に起きた障害だから発達障害。
発達障害は精神障害の分類だから、精神障害手帳っていう話なんだと思う。






発達障害や精神障害と同じくくりになると、何が問題かということ。


非吃音者、すなわち一般の人がこの話を単純に聞くと誤解が起きそうだということ。



吃音のある人は、発達障害を併発してるだろうって思われ易くなるだろうし。
実際に併発してることもあるので、否定もできないから余計ややこしい。
だけど一緒にしない方がいいと思うんです。

発達障害の啓発が国連やらマスコミなどで進む中で、吃音は発達障害に含まれますとなると、問題を一緒にされて結局、吃音を軽んじられてしまう恐れがあるということ。

どっちも大切な問題です。
だからこそ、手間だとか面倒だとか、コスト云々とか理由を作って、それぞれの問題をごっちゃにしてほしくない。そして、吃音は、発達障害より認知度も危機感も低いから発達障害に覆い尽くされてしまう可能性がある。
(吃音は、個人の問題のようにされてる現在、啓発は不要と思われ易く。当人も隠す傾向。1人が0.5人のようになっていることも。一方、発達障害は、当人だけじゃなく周囲も混乱する場面があるため、親や教育関係者の協力を得易い。1人の当事者がいたら、2人、3人と協力者を得易い)




もう一つ、精神障害と同じくくりになってしまうとどうなるか。
吃音症は精神障害に含まれますと言われたら、なんだか吃音=神経症、気持ちの問題→個人の問題と言われているように感じてしまうのは私だけだろうか。
吃音が神経症を併発することは多いから、完全否定はできないけど、少なくとも『=』ではなく、『→』だということ。
吃音をきっかけに、神経症、社交不安障害、うつ病などの精神疾患を併発する。
それは紛れもない事実です。

ただですね。
一般の人が、精神障害に含まれますと聞いたら、身体的な問題と精神的な問題とを比較したときに、
『国は、身体的な問題は軽くて、生じてきた精神的問題を重いと見てるのか。ふむふむ。やっぱり気持ちの問題でしょ。
身体的問題は軽いんだから、個人の問題でしょ。』
って、はっきり思わないにしても薄ら感じるじゃないかなって思うんです。


吃音が身体的な障害であるって、国が認めてくれたら、身体的に辛い問題なのねって言ってくれたら、
気持ちの問題とか、個人の問題とかそんな孤独に追い討ちをかけるようなことがなくなるんじゃないかな。

吃音の人が生き易い社会の第一歩になるんじゃないかなって。

私だけだろうか。






すんごい長文になってしまった。

ごめんなさい。






皆さんに良い事がありますように

何人が全部読んでくれるだろうか