長女であるお義母さんが
ずっと面倒をみてきて
10年前からは施設に入っていたの。
しばらくすると、認知症に・・・
会話もまともに出来ず、
私も何度も施設を訪れたことがあるけれど。
手でご飯を食べているときもあって。
ぼーーとしていることも多く
身体が動かなくなるとずっと寝たきりだった。
それが幸せなのか??
どうなのかは別として
私の父母のように、
病気で苦しむこともなく痛がることもなく
いつも穏やかな表情だったおばあさん。
最期を看取るために
数日泊まり込んでいた
お義母さんや叔母さん(お義母さんの妹)。
でも・・・
ちょっと目を離していたら
いつの間にか
息をしていなかったらしい
お義母さんも叔母さんも
あれ?!しんでる??
ってな感じだったそう
すごいよね
おばあさん、結局ずっと穏やかだったの。
(もちろん時には体調で
苦しむときはあったと思います)
ほんと人の最期もいろいろ~
私が一番に思うことは
何かと面会や呼び出しに対応して
多額の施設利用料を支払い続けてきた
お義母さんに本当にお疲れ様と言いたい
特にここ数年は、
「状態があぶない」と何度も連絡が入り
お義母さんの負担も大きかったと思う。
ちなみに。。。。。
父の四十九日法要のあと
おばあさんの体調がいよいよ悪くなり、
「覚悟をしておいてください」と言われたらしいので
夫と私は
喪服をクリーニングに出さず
待っていた
・・・・のに、半年以上経った
お盆まで過ぎた
おばあさん、よく頑張ったなぁ。
おばあさん、よく頑張ったなぁ。
寿命を全うでき、
娘たちに囲まれて穏やかに
本当にいい最期だったと思います
父のときに、看護師さんに
「眠るように息を引き取ることはありません」
と言われたけれど、あったな。
あれは私への慰め言葉だったのかな。
そして・・・・
おばあさんは7人きょうだいで
みんな長寿ーー
すでに5人の方が亡くなっているけれど
みんな80歳越えで93歳で亡くなった方も。
絶対DNA関係あるよね
今回、おばあさんが亡くなって
残るは末っ子のおばさん一人になった。
もちろん妹として
葬儀にも参列してくれたおばさん。
83歳だけど、まだまだお元気
お会いするのは数年ぶりだし
今までも、夫側の冠婚葬祭やらで
数えるほどしか会ったことがない。
はずなのに・・・・
私にむかって
「たまちゃんでしょ?」
と言った私なんかの
名前を覚えていてくれていたことにびっくり
そして
「実家は〇〇町だったわね?」
っとこれまた覚えている
というか、なんで知ってるの?
私はそんな話をしたことも覚えていない
そして・・・・・
「あんたが家を建てたとき私は
お祝いにシンピジューム(花)をあげたわ」
えええーーーー
私、覚えていない
そうだったかな・・・だとしたら、とっくに
枯らしてしまっている
ご、ごめんなさい
おばさん、83歳なのにすごいなぁ
家を建ててからもう10年!!
10年前のことを覚えているなんて
すごい!!!
そして・・・・
次に言われたこともすごかった
「あの家は小さくて狭いわな」
・・・・・
その通りでございます。
おばさんの話、続きます~ぶちっ↓
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