結婚教育相談員 ムーママ(村島和代)です。

 

さあ、今日からお仕事開始です。

今年はどんな出会いがあるのか楽しみです。

 

昨日は、私の今を決めた三者懇談のお話の前まででしたね。

 

初めて学校に来てくれた母です。

運動会も、参観日も学校行事には一度も来てくれたことのない母が、

初めて学校に来たのは中学校3年生の懇談の時一度きりです。

 

私の夢は、服飾デザイナー 

ミシンをかけて洋服を縫うのがとても好きだった私は、小学校高学年からは

自分のスカートぐらいは作っていました。

自分でデザインして創ることにあこがれていました。

 

しかし母の思いは、看護師にする事でした。

「ひとりでも生きていけるために」

母の切なる願いのようで、当時の私は自分の意見を言うことができませんでした。

高校に行きたいのならば、衛生看護科のある高校への進学しか選択肢がなかったのです。

当時は、大阪の公立病院からの奨学金をいただいて進学する方法があり、

私もその道を選びました。

 

高校3年間、准看護師の資格を取るために自分の夢は絶たれてしまいました。

ただその当時は、「早く自立したい」その思いだけで頑張ったように思います。

 

大阪へ出てくるとき、友達との別れはつらかったものの、故郷を離れる寂しさよりも

これから始まる新しい生活への期待の方が大きく、ワクワクしていました。

 

准看護師として働きだしましたが、当時は働きながら高等看護学校(正看護師)へ進学している先輩も多く、

翌年には私も働きながら正看護師への道を選びました。

 

 

幸い昼間定時制の学校へ合格することができ、隔日に学校へ、そのほかの日は仕事と

比較的楽に両立するころができ正看護師の資格も取ることができました。

 

もし、私が普通の家庭で育っていたならば、看護師という選択肢はなかったかもしれません。

 

その当時私は、

「母に決められた自分の道だけど、母が望んだ以上の自分になる」と決めていました。

そのお話は次回に・・・       つづく