回想記はお休み…、と言っても、ついつい回想してしまいます。
回想し、さらに妄想にまで至ったりもしております。
このブログを始めた時、すでに教会への不信や恨みは消え去っていると、自分では思っていました。
統一教会へ導かれたのは神様に出会うための一プロセスに過ぎなった、という結論に至っており、教会に感謝こそすれ、恨むという立場ではない、という気持ちでいました。
しかし、過去を思い出しながらブログ記事を書くという作業を通し、やはり私には恨みがあったのだ、という気持ちが湧いてくるようになりました。
教会を離れたのは、すでに二昔(ふたむかし)も前だというのに、これは何ということでしょう。
教会を不信し、希望を失ったまま、時が過ぎていただけのことでした。
20年間、ただ自分の心を封印していただけだったのだと分かりました。
しかし、このブログを立ち上げ、その心をあからさまにすることで、何らかの解決は成される気がしています。
過去の一切を清算できるような気がしています。
その時が、ほんとうの意味で 「サヨナラ!統一教会」 なのでしょう。
そして、このブログも終焉を迎える時なのでしょう。
「もし…」という仮定は、とても面白いものです。
「もし○○だったら…」
もし順調なレールの上で信仰生活が進んでいたら、おそらく私は6500双に入っていたことでしょう。
そして、韓国へ飛ばされ…、今頃どんな生活をしていたでしょうか。
おそらく今と同じように悩んでいたことでしょう。
いえ、すでに日本へ帰国していたかもしれません。
離婚し、子供数人を連れて…。
何が幸となるか分かりません。
3万双であの相対者と出会ったのが、私の人生で一番幸福なことだった…。
そう思います。
相手が彼でなければ、早期に教会を離れることなどできなかったでしょうから。
独身のうちに教会を離れられたのは、私にとって好ましいことだったと思います。
与えられた相対者が、普通の人だったなら、そのまま信仰生活は続き、家庭を持ち、子供も生まれ、今頃では身動きが取れなくなっていたことでしょう。
でも、そうであっても、もしかしたらその相対者も、今頃は目覚めており、一緒に教会を離れるという結果になっていたかもしれません。
あるいは、相対者はバリ教会員で、家庭内離婚だった可能性もあります。
いずれにしても、このような結果になっていたことは間違いないでしょう。
妄想は果てしなく続きます。
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最後までお読み頂き、感謝申し上げます。
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