備忘録として書いておきます。


1日の夕方、能登半島地震が起き、わが町内灘町もそうとう揺れました。


私は、自宅にいてワンコ2匹をかばいながら家の中で揺れが収まるのを待っていました。

旦那様も息子も家の外に出ていました。

息子は1度家の中に入ってきて、ワンコ1匹抱っこして、また外に出ていきました。

私も、もう揺れは収まったかな、と思い、もう1匹のワンコと外に出ました。


▪▪▪▪▪▪近所の人、みんな外に出てる▪▪▪▪▪▪


その後、津波が来る逃げろ!とのニュースが▪▪▪▪▪▪


どうする?どうする?


旦那様は近所の方達と話していました。

道路はぐちゃぐちゃに割れ、車は出せない。

あらためて大災害が起きた場合の避難のあり方を考えさせられました。


結局、津波の被害はなく、しばらくしてから旦那様と私は仕事があるからとなんとか牧場へ行きました。

私の車はジムニーなので、ゆっくり道路の確認をしながら牧場に行きました。


電気は一時止まったのですが、すぐに復旧しました。


地震直後から、断水が始まりました。


水との戦いが始まりました。


幸いにも

内灘町の隣にある、かほく市からのスタッフがいて、そこは水が出るということで

スタッフの家から水を分けてもらったり

また私の実家が金沢市にあり、そこも水が出るというので、実家まで水を分けてもらいに行ったり

それでなんとかなんとかなっていました。


次の問題として

牛乳をしぼる機械を洗うため、子牛ちゃんにミルクをあげるため

お湯が必要になっていました。


石油ストーブ、IHコンロ、家庭用のバーベキューするときのものまで出してきて

そこら辺にある余っている木材を小さく切って、薪として使ったり

1日中、お湯作りです。




★初めて目にするストーブなのに、なぜか使用方法をわかっているニャンズ★

子牛ちゃんのミルクは
たまたま産んだばかりのまだ出荷できない初乳があったので
しぼって、冷めないうちに与える、ということをしていました。
粉ミルクの子も、みんな初乳でやり過ごしました。

この頃は、何日かして水も復旧するだろうと思っていました。

被害が明らかになってきた頃



★これはSNSで拡散された画像を引っ張って来ました★

息子の通っていた小学校の前の道路です。
内灘町にはいくつかの小学校がありますが、息子の通っていた小学校だけ再開の目処はたたないままです。

復旧はいつになるのだろうか、そう思い始めました。




つづく