私は
前の会社のとき

よく恐いと言われていて。
(今もか?笑)

自分では、恐い部分は出してないつもりだったから

なんで恐いと言われるのかわからなかったんだけど。


今、仕事の引き継ぎをしていて
あ、もしかしたらこーゆーこと?と
感じることがある。

その子は
ホワンとして
話し方もゆっくりしてで
一見優しいだけの人
に見えるんだけど

時々
(いや、かなり頻繁に)
鋭い目つきになったり
びし!っと切れ味のいい質問をしたりする。

普段ほわんとしているから
こちらも油断(笑)してるじゃない?

だから
いつもでない鋭い視線や質問に

こわ

って思うんだよね、私。


で、

あ、もしかして私もそうだったのかな?
と思った。



そんな日々を過ごしていて
今日は

「恐くてもいい」
とつぶやいてみた。

私の場合は
優しいいのが良くて
恐いのは良くないことだ

どこかで思っていたから

自分の中の
恐い部分や鋭い部分を
普段は隠していて

余裕がないときや
イライラしているときなんかは

それがふっと出てくるんだと思う。

その差に人が
怖さを感じていたんだろうな、と言う気がしたのと




その子に

「あなたに恐い部分があるの、隠すのやめたら?」
と言いたくなった時

自分もか

と自分に突っ込んで笑った。




私は恐い人です。

私はすぐイライラする人です。

私は鋭い人です。

これらを受け入れてしまおうと思った。


そもそも隠してたのは

恐いのは良くないことだ

という偏った価値観を持っていたからで


恐いのは本当に良くないことなのか?
と自問したとき


そーでもないなと。






恐くてもいいじゃん。


って思えた。


私の中の恐い部分は
ずっと私の偏った価値観のせいで

ずっと
地下の牢獄に
存在すらも隠されていて

きっと辛い想いをしていた。




そこから出してあげよう。

光を浴びさせてあげよう。




そのための呪文は

「恐くてもいいよ」
だ。


恐くてもいいよ。
怖くていもいいよ。

体が緩むまで
何度も何度もつぶやいてみる。

自己受容する。

自己受容は
世界を変える。




世界というのは
わたしの世界のこと。

私の視点の事。


恐いことは良くない事だ
恐いことはいけない事だ

と思って過ごす世界と

恐いことは良くないことではない
恐くてもいいよ

と思って過ごす世界は

きっと違う世界だと思う。





怖くてもいい
怖くてもいい


私は怖くてもいいんだ。