続きです。


①大国主命。
古い地球は、頭と繋がる。
新しい地球は、ハートと繋がる。

目を覚ますとは本質を生きること。

大国主命のエネルギーを使って
ハートにつながるをサポートしてもらう。


ハイヤーセルフは
常にリラックス
常に楽しい
常に安心

脳内の回線を地球から銀河へ繋ぎ直す。




②市杵島姫
弁天さまのエネルギーを持つ神様で
私はとっても大好きな神様🎵

この神様は
クリエぃティブを司ります。


地球はいわゆる刑務所で
被害者とコントロールの世界。


内側が満ちると外側が満ちてくる。
なぜなら宇宙は鏡だから。


自分の意識・波動が映るだけ。


本当の意味で外には何も起きていない。

なので
外が乱れている時は、内側を整える。


外側(スクリーン)は0の位置。
本質は100の位置。(ゼロポイントフィールド)

フイルム(スクリーンの内容)を変えられるのは
100の位置。

目を覚ますとは本物になっていくこと。
自分の真実に一致しようとすると不自然が現れてくる。

100の位置にいるとジャッジ、批判ができなくなる。

「ただ100の位置に立とうと決めて立つだけ」

今自分はいくつの場所にいるかを聞いてから
100まで移動し、正八面体を下から出して
胸の扉を開けて前に出す。

「100の位置にたつトレーニングをしよう。」

③くくりひめ
宇宙を股にかける神様。
普段は隠れている。

(陽)金。銀。銅。鉄(陰)

地球の移行サイクルは陰から陽へ。

金がもっとも栄える(波動、あり方が高い)
鉄が最も混乱している(不安や恐れ)

影響されない場所に立つ。

くくり姫に古い自分から新しい自分へののサポートをしてもらう。


三柱の神様のエネルギーをおろし
それぞれワークをやりました。


あとは、
箇条書きメモ。

*本当にそれをやりたいならやる
*本当にそれを食べたいなら食べる
*いるだけで価値がある
*逆の世界
*内側が満たされることを一番にやる
*探しにいくと逆に見つからない
*ねがいはみちているときに放つ
*いい気分の時に願いを放つ
*あファメーションは100の位置でする
*宇宙はイエスしか言わない
*宇宙に正直にいる
*自分に正直にいる
*私が道である
*自分を小さく見積もらない
*自分はどうしたいのか?どうするのがいいと思っているのかを100の位置に立って表現する



続く





10月10日に金沢で行われた並木さんのワークショップに行ってきました。


「古の神々と繋がり自分史上最高の人生のステージに立つ」


と題して行われた金沢ワークショップ。


走り書きしたメモを頼りに

思い出しながらワークショップの様子をシェアしてみたいと思います。



同じ地球にいながら違う体験をする。

体験する周波数を持っていないと体験できない。


「周波数」という言葉の意味が

私の中で理解できてなくて

「周波数」という言葉だけを取り込んでいたため

消化できずにいましたが


今日、現在。

私の「周波数」の解釈は「感情」です。


体験する周波数を持っていないと体験できない。

イコール

体験する感情を持ってないと体験できない。




2021年から2028年まではトレーニング期。


地の時代の「努力」「根性」「我慢」「忍耐」などを使って願いを叶えてきたわけですが


これからは

風の時代の「知識」「情報」「軽さ」「直感」

などを使って願いを叶えるので



なんていうか


右利きを左利きにするトレーニング期、みたい感じかな、と。



「自分史上最高の自分になる」


ってサイコー!



これからますます二極化するので


ネガティブしか体験できなくなる

または

ポジティヴしか体験できなるなるそうです。


どちらにするかは自分が選ぶ。






この日は古代の神々のエネルギーをおろして

ワークをしました。



おろした神様は

大国主命。

市杵島姫。

くくり姫。

の三柱。



ワークショップの内容は続きに書きます。




私の中に

 

男をみる
女をみる

若きをみて
老いをみる

豊かさをみ
貧しさをみる

男の子を見
女のコをみる

卑しさをみて 

清らかさをみる

志を見て
欲望をみる

超四次元立方体

私の一部が現れては消え
別の部分が現れる

それは
私の外にはなく
私の中にある

わたしは
それを眺める者


慈しみをもって
私の中にあるそれを見つめる

私は何者でもないがゆえに、何者にもなれる

何者でもない 
その地点こそがわたしである

そこには
時間がないのに
すべての時間がある

そこには
空間がないのに
すべての空間が含まれる

始まりすらないその場所がわたしである

誰もわたしを認識できない


いろんなことが起きているようで
実は何一つ起きていない

私は始まりの地点にいるがまだ始まっていない

誰もわたしをとらえることはできないのだ

 

 

#いつかのふと

#がんばって言語化してみたけどしっくりきてない(^^;)

これから書くことは

あくまで私のふと思ったことなので


気にいらない人もいるかもしれないのですが



せっかく

ふと思いついたので


記録に残しておきたくて書くことにしました。



「目覚める」

とか

「二極化」

とか


スピが好きな人は絶対聞いたことがあるワード

だと思いますが。



今日ふと


「私、もしかして目覚めごっこしてる?」

って思ったんですよ。



例えば

夢を見ていて


夢の中で

「これは夢だな‘」と気づくことがある人いると思います。


夢だと気づきながら

夢を見ている状態。


夢だと気づきながら

夢の中にいる状態。



これは「目覚めている」とは言えないんじゃないかと。


夢だとわかっているので

眠りこけてはいませんが


肉体はまだ寝ているので


意識だけ目覚めている状態。


というのが一番近いのかな、と。





体が起きないと本当には目覚めているとは

言えないのではないかと思った時。



3次元に肉体を持っている以上


意識的に目覚めていることはできても

完全に目覚めるには

肉体を脱がないと(つまり死なないと)

無理だよねって話です。


夜、夢のなかで


「これは夢だ」と気づいたとしても

夢の中にいるため

うっかりすると夢に飲み込まれてしまい

夢だと忘れてしまう可能性があるように



3次元で

これは夢であると気づいていても

何かをきっかけに現実に飲み込まれてしまう可能性は大いにあるわけで。




何をいいたいかというと


肉体を持っている間は


「意識的に目覚めている」ことはできても

本当に目覚めることは無理なのではないか

ということと


3次元という幻の空間に体がある限り

そーと意識的でいないと

すぐ現実に飲み込まれてしまうよ


ということを書きたいのです。



地球は3次元という幻を楽しむ場なので


遊園地にきたら遊園地のルールを楽しみ

カジノにきたらカジノのルールで楽しむのが

礼儀というものではないか

という気もしてきて


そうは言っても

ギャンブルにのめり込みすぎると地獄を見るように

現実にのめり込みすぎるとそれもしんどい毎日になるでしょう。





でも

せっかく遊園地にきたら


あれも乗りたい、これも体験したい

というのは当たり前で

(だってそれが楽しみ)


お化け屋敷で

キャーキャー言ってる人に

「あれは人形だよ」

なんていう人は


せっかくの楽しみを奪う嫌なやつでしかない、笑。


別の言い方をすれば

私たちは遊園地を楽しみにきているのであって

目覚めることを目的にここにいるわけではない。



そんな中で

目覚めよう!と言って

私も目覚めたい!って思ってるってことは


目覚めごっこをしにきているだけなのかな?


と思ってしまったのが今日。




どこまで行っても

夢の中(ドラマの中)なのかもしれないと思ったら


目覚めることを目的にするのはやめて


それより


私そのもので生きるということを目的にする方が

好みだわ✨

って思ったので



目覚めるとか目覚めないとかは

置いておいて



私そのもので生きること

私そのものを現して生きることを目標に

日々を過ごしてみようと

思ったので


私の宣言を記録しておきます。