褒められたこと。
考えてみれば、小さいころから褒められた記憶があまりない。

勉強を頑張っていたわけでもないし、
運動を頑張っていたわけでもないから当たり前なのだが。

唯一褒められた記憶があるのは髪の毛。
天然の茶色でサラサラヘアーだった(らしい)。

高校に入ってカラーし始めてからたった数年で
見事ズタボロヘアー。

いまだに母親に「あの頃の綺麗な髪はどこ行ったの」と言われる。
こっちが聞きたい。

他の家庭でよく言われるような
勉強しろ、テストの点数がどうだ、スポーツをやれ、
うちの両親は一切なにも言わなかった。

出来ても出来なくてもどちらでもいいんじゃない?
そんな親だったと思う。

だから「頑張る」ことを知らずに育ったのだろう。
頑張れない、努力の出来ない人間になってしまった。

幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、
思い返しても頑張ったことがない。

逆に言えば、頑張らなくてもできたから、
舐め腐った人間になった。

英語、ピアノ、習字硬筆、空手、
習い事は練習しなくても、上手くいった。

勉強も資格も、
勉強しなくても点数は取れた。

外ではものすごく大人しい、
いい子ちゃんだった。

結果、努力することを知らずに育ってしまったのだ。

冷めた人間、面白味のない人間、
無意識に世の中を舐めている、
まさにそれだ。

最近本当の意味を理解した言葉の中に
『器用貧乏』というものがある。

得意不得意はあれどなんでもがそれなりに、
人より出来る・または人並みにできる。
しかしこれと言って秀でたものはなにもない。

こういう人たちをよく言えば器用貧乏と言うのだと
最近ネットで知った。

同類が集まる掲示板を見て、
とても共感したと同時になぜかスッキリした。


とりあえず、
私にはなんの取り柄もないのだ。

やる気が感じられない、その通りだと思う。

なにかに一生懸命打ち込める人は、
まぶしくて輝いている。

ひとつのことを頑張ったことがない私は、
それを羨ましいと思う。

この器用貧乏な人は大きな壁にぶち当たることが少ない反面、
なんの面白味もない人生になるだろう。


私はとても気が強いくせにとてもネガティブなので、
100%自信を持ってできると思うこと以外「出来ます」とは言えない。

口だけの奴が大嫌いで許せないのも、
自分のこの性格ゆえにだろう。

そして自分で自覚できていないところを人から褒められても、
自信に繋げることができない。

上を見れば上がいるんだもの。
自信過剰になってから落とされることを極端に恐れているのだと思う。


人に期待をさせておいて裏切る奴が一番許せない。
我ながら果てしなく面倒で頑固な性格だ。

私はなにもやらずに端から出来ないと言うことも大嫌いなために、
仕事上では「やってみます」この言葉をよく使う。

「断れない性格なのね」
心療内科の先生に言われた一言。

自分ではそう思ったことがなかった。
そんなことはないと思っていた。今でも思っている。

だけど「仕事」に関しては、
謎の責任感の強さや、期待を裏切ってはいけないという気持ちが強く、
所謂『断れない性格』になったのだろう。

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私はアダルトチルドレンなのだと思う。
おわり。