ブログになら唯一書ける気がしました。

ありがとう。

 

・男の人は女たちといるとつまらないと感じる反面、女は男たちを見てくだらないと思っている。

 

・友達ができない理由、独占欲が強いからだ。

 

・人間関係のごたごたを見るのも経験するのも嫌になった結果、知り合いがいないツイッターに居座るようになったのに、人間関係のごたごた見せつけられるのキツイ。

 

みたいな話を書こうかと思ったのですが、違う話にします。

 

 

私が人間嫌いなのは、裏切るから・言葉を話すから・平気で嘘をつくから、などという理由もありますが、自分が人間を切れないからだということに最近ようやく気づきました。

 

SNSで言うと、ブロックのことですね。

ネット上ですら人間を切れないんだから、現実で切れないことは容易に想像できるでしょう。

 

なんでできないんだろう。
情なのでしょうか?本当に?違う気がします。

 

自分が切れないからほとんどが切られる側になるわけですが、そんな自分可哀想に浸ってるんじゃない?と思いますか?

 

でもそれならたぶん、自分も嫌なときはばっさり切れると思うんです。

なぜ、それほどまで関係を断ち切るのが下手なのか、ずっと考えてもしっくりくる答えが見つかりません。

 

疎遠にするのは得意なのに。

 

疎遠にするなら結局同じじゃない?って思いますか?
主観としては全く違います。天と地くらい。

 

疎遠ならば、また戻る可能性がどこかに残されている。
また再び出会っても、そこから関係を築くことは容易なのです。

 

だけど一度断った縁は、恐らく戻らないでしょう。

お互いに。

 

私は切られた人からアクションがあれば受け入れますが、切った人は自分から切ったという思いから、自らアクションは起こさないでしょう。

 

そして切られた方はもちろん、切られる理由があったわけなので、自らアクションを起こすことはないでしょう。

 

もし関係が修復されるとすれば、数年単位の時間を有すと思います。

 

それが嫌だから切れないのかな。

きっとそれだけじゃないんだろうな。

 

自分が可愛いんだ。傷つきたくない。

それが理由で傷ついているのに。

 

自分の中で削除することは容易い。

それを相手に分かるようにすることができない。

 

見捨てられない。自分も見捨てられたくない。

どうして簡単に切るの?なぜ捨てるの?悲しいよ。つらいよ。

 

メンヘラかよw

 

情に厚い?そんなことありません。

非情だと自分では思います。

 

どうでもいいひとは本当にどうでもいい。

道で人が倒れていようが、平気で見捨てられると思う。

 

自分の中の壁は厚い。所詮全ては上辺だけ。

本音など、特定の人間に小出しにするのが精一杯。

 

関わった人を見捨てはしないが、どうでもいいこともある。

私は閉鎖的で排他的である。

 

だって削除はできるもの。

 

電話帳からの削除、すぐできます。

LINEのブロック、Twitterのブロック、できません。

 

なにが決定的に違うと思いますか?

相手に伝わるか伝わらないかです。

 

ミュートや非表示を最近覚えました。

だから少しは楽になった気がします。

 

人間なんてみんな汚い。"いい人"なんていやしない。

あなたにとってのいい人は、あの人にとってのいい人ではない。

 

そしていい人と言われるあの人の、垣間見える本性を見ていますか?
おおよその人間は"いい人"の、白い部分しか見ていない。

 

誰かが"あの人はいい人"と言えば、"いい人なんだ"と先入観が生まれる。

そしてその"いい人"が、人当たりがよかったり、愛想がよかったりすれば、もう"いい人"認定されるわけ。

 

人間チョロすぎかよ。滑稽だ。

私はどこかでバカにしている。

 

でもその他人を"いい人"と思える人は、私なんかより何万倍も幸せなのですよ。

私のような捻くれた、歪んだ、人を信じない生き物と違って。

 

一度関わった人を簡単に切れない病気は、本当に生きづらいと感じます。

 

だから安易に関わりたくないと思ってしまう。

もう人間によって傷つきたくないから。

 

いい人と言われたって、私はいい人なんかじゃない。

打算的でずるい人間。

 

そんな言葉になんの意味もない。

 

だけど独りは嫌なんだよ。

この矛盾との葛藤の中でずっと生きていくんだなあ。

 

きっと死ぬまでこの考えは根本にあるのでしょう。

依存体質。必要とされたかった。

 

私の代わりなんて、いくらでもいるんだ。

 

もう嫌なんだ。失望したくない。

信じたい。だけど平気で約束を破るでしょう?

 

みたいな~。

 


それからもうひとつ、気づいたことがあります。

 

自分が嫌いな人間に好意的な人間は、例え自分が好きでも嫌われる運命にあるのかなと。

その度につらい気持ちになる。バカみたい。

 

例えば、私が人間的に嫌いな人間Aに好意的なBがいたとします。

そして私はBのことは人間的に好きだとします。

 

そうすると、いくら私がBに好意的に接しても、Bは最終的に私に好意的にはならず、むしろ嫌われるのです。

 

人間って不思議ですね。同時にクソですね。

本当に人間嫌い。半分ほど死んでほしい。

 

きっと人類に期待しすぎなのでしょう。

 

頭では分かってるんです。

頭でわかっているだけじゃ、何の意味もないんだけど。

 

期待していないつもりなのに、どこかで期待してしまっている。

だから現実とのギャップに苦しみ、落胆するのです。

 

人間好きの人間嫌いの戯言でした。

書いてるうちにちょっとつらい気持ちになってきました。