harukaは約4年半の間、闘病しておりましたが64日、31歳の若さで旅立ちました。

最後の最後まで諦めていなかったです!



酸素マスクを付け、体全体で呼吸をするのが精一杯でした。意識がもうろうの中、harukaは酸素マスクを取りたがっていました。熱もこもるので苦しいのか、それとももう楽にさせてほしかったのか。近くで見ていた分、楽にさせてあげたい気持ちも心の中にありました。

でもそれでも僕はこのまま呼吸しているだけでいいからやっぱりこの先もずっと一緒に居たいって気持ちが強く、手や足が冷たくなってきても必死に温めていました。




妻はブログで沢山の人達に勇気をもらい、生きる力など沢山の事を学ばせてもらったと言っていました。妻みたいに文章力がなく、うまく伝えれないかも知れませんが、どうかお許しください。




このコロナで世間が大変の中、家族葬にするのか一般の形でやるのか迷いました。

その中で僕は、harukaの夢を叶えてあげれず結婚式や海外旅行、マイホームなど後悔する事があり、病院の面会もこの状況なので家族以外は禁止と言うこともあり大切な友達にも会えていなかったので、不謹慎なのかもしれませんが、たくさんの人達に送ってもらいたいと思い一般の形で行う事にしました。

ガンが分かってからエンディングノートを書いていて、4年も前の書き込みだったのですがそれを参考に行いました。友達の力もあり、たくさんの花で送る事ができました。急な事だったのですが想像以上の人達が来てくれて無事にやることができました。本当に1人じゃなにもできなかったと思い、沢山の人達に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。





僕は病気が分かったその日から絶対にharukaの前で涙流さないと決めてました。その日の帰りに1人で帰りその車で大泣きしたあの日から。

でもそれは間違ってたのかもしれません。harukaに良く、私が病気になって辛い事あってもdaiki全然泣いたりしんよねーって言われていて、私は一緒に泣いて欲しいんだよって言われました。隣で笑ってたり、苦しんでたり、泣いていたりしたら同じ立場にたって一緒に共感する事がharukaにとっては嬉しかったみたいで、骨に転移が見つかった時は2人で抱き合ってこれでもかっていうくらいに泣いたのを覚えています。

生きるという事、人を思いやる気持ち、家族の愛、友達との絆、本当に心から人を愛するという事、僕は沢山の事をharukaから学ばせてもらいました。今までできていた事ができなくなって、一緒に泣いたり笑ったり、当たり前の事がどれほど幸せだったか。今まで気づかなかった事を気づかせてくれた事も。





harukaは最後に意識がもうろうの中こんな病気の私と結婚してくれてありがとう、daiki1番と何度も言ってくれました。

僕はharukaと結婚できた事そばにいさせてくれて本当にありがとうと伝えました。それが最後に話せた会話です。





harukaと結婚して夫婦になれて、そばにいれた事、お互いに成長できたこと、妻には感謝しかありません。今でもなかなか受け入れる事が出来なくて病院に行けば妻に会えるって思ってもいます。正直、会いたいです。顔がみたい、声が聞きたいです。それでも僕は、生きたいと強く思う気持ちがあったharukaの為にも前を向いて生きて行かなきゃ行けないと思います。これからもずっと愛しています。沢山の思い出をありがとう。






長い間、沢山のコメントありがとうございました。皆さんの温かい言葉がharukaの生きて行く力になり勇気を貰ったと思います。

本当にありがとうございました。