ご無沙汰しています。
1月3日で、ハルが亡くなって丸3年でした。
やっぱり今年も、3日は仲間が集まってくれて、ワイワイ。本当にワイワイしました。
涙を流す祥月命日にならないようにと、支えてくれる友人達に本当に感謝です…。


さて、我が家の近況ですが…。
ずっと書きたかったことを書かせてください。

リンのお話。
リンは昨年の夏前にひとつの決断をしました。
陸上部を辞めて、吹奏楽部に転部したんです。

いろいろなことが重なっての決断だったのですが、一番の理由は心身の不調でした。
初潮を迎えたこと、急に身長が伸びて身体が変わってきたことなどで貧血気味になり、体重が減少。友人間のトラブルも重なって、精神的にも不安定になっていた時期がありました。
元々リンは頑張りすぎてしまう性質。
長距離を走るのも、自分の限界まで追い込んでしまうので、練習中に倒れてしまうこともあり…。それでも、家に帰ってきたら、絶対手を抜かないで勉強するんです。
何かを頑張っていれば、気持ちが落ち着くとリンは言いました。だから止めないで、と。
逆に言えば、ギリギリのところで踏ん張っている身体と心です。
いつポキッと折れてもおかしくない
…そんな危険な状態でした。

学校カウンセラーの先生と話して、HSCの気質が強いということがわかって、私なりにいろいろ勉強しました。
もっとリンの心を楽にしてあげたい。
誰か、リンの心を解かしてくれるような人と話をしたい…。

そう思った時に、ある人の顔が浮かびました。
ハルの院内学級の仲間だった、涼さんのお母様…。
涼さんのお母様の包み込んでくれるような優しさと、その芯にある強さ。
悲しみを乗り越えた者の、強さ、優しさです。

私はGWの連休中に子供達を誘って、お墓参りを兼ねて涼さんのお母様を訪ねました。
ハルが劇症型心筋炎になって院内学級に入ったのは中学2年生。ちょうどリンの年です。
その時の話を…。同じ部屋で入院していた涼さんのお母様の目線からの話を、子供達は真剣に聞いていました。
涼さんが亡くなった時の話には私もリンも涙し…。パパの気持ちをしっかりと感じたのでした。

ハルは、折に触れてお母様に手紙を送っていました。これは私の宝物なのよ…と何通か手紙を見せてくださいました。

「まだ幼い子供たちが、これから何かに悩んだ時に、ちょっとした道しるべになれるような存在でいたい。そうなれるように頑張ります。」
…そうハルは手紙に書いていました。

その手紙を送ったのは2014年の冬。
3ヶ月入院して、やっと退院できた後のお礼のお手紙でした。
ハルの「そうなれるように頑張ります」というのは、ただ頑張るってことではないんです。
そこまで生きる、ということだから。

…その言葉の重さを私もリンも感じて…。
涙が止まりませんでした。


今のリンをパパが見たら、何て言うだろう。
きっと「リン笑って」って言うんじゃないかな?リンが笑顔でいられる方法、パパはきっと考えてくれた。変顔とかしていっぱい笑わせてくれたかな~?
今リンは頑張りすぎてるから、ママは心配なの。パパもきっと心配してる。
ちょっと休もう。身体も心もひと休みしよう。

…そんな話をリンとしました。
そして、今のリンに長距離は負担が大きすぎると話しあって、転部を決めました。


吹奏楽部には、小学校からのマーチング仲間も多くいて、大歓迎でリンを迎えてくれました。

元々、高校に入ったらもう一度マーチングをやりたいと思っていたリン。フルートも個人レッスンで続けていたので、何の問題もなく吹奏楽部に溶け込むことができました照れ

「パパが感じてた世界を私も感じたい。」
リンはそう言って陸上を選びました。
見えないパパの姿を追いかけていたのかもしれません…。

無理して追い込む走りじゃなくて、リンのペースで楽しく走ろうよって私は言いました。
それで、私とレンと3人で夕方ジョギングに行ったり。レンは速すぎるので、お義父さんも一緒に出て男女に分かれたり。

陸上部を辞めてから、週末の夕方はおしゃべりしながらジョギング。たまに景色を見るのに立ち止まったり。
リンが「ママ、走りに行こう!」と誘ってくれるのが嬉しくて。
おかげで私も少し筋力&体力アップしたような、そんな気がしています爆笑
リンの体調もまだ生理時に辛そうなこともありますが、ずいぶん回復。
何より笑顔が増えました照れ

きっとね、ハルはそんな私達を「それでいいよ」って笑って見てるんだろうなって。

まだまだ、いろんなことがあるんだと思うけど…。
一歩一歩乗り越えて、進んでいきたいです。
いつでも、ハルを感じて。