いつも読んで頂いてありがとうございます。
毎回読者登録、イイね連打、コメに感謝致します。
またまた空いてしまいました。
気付けば8月も終わり…。
先日歳を重ねてしまい、親愛なる一部の読者様からお祝いメッセを頂ける光栄がありました。
私は何と幸せ者なのでしょう。
実に嬉しい心あるメッセに手を合わせながら読ませて頂きました。
この場を借りて心からお礼申し上げます。
コロナは収まるどころか一段と猛威を奮っておるように感じておられる人が大半であろう。
いつになったら落ち付くのか。
出口は見えんが、こんな時ほどポジティブに考えるしか無さそうだ。
試練は出来れば避けたいが、まんざら悪い事ばかりでは無い。
試練は乗り越えた時に色んな事が見えてくる。
…自分を大きくしてくれる。
…普通に感謝する事を再確認させてくれる。
当たり前の日常がどれほどありがたい事だろう。
歳は重ねてしまって還暦一直線の小生であるが、老年期に差し掛かる年齢まで生きながらえて来られただけでも奇跡であるし感謝である。
平たく云えばオッサン、もはやジジイかも知らんが贅沢は云わなくなったし、感謝出来る事を覚えた事は収穫と云えよう。
先日何気にこんな言葉を見付けた。
ハッとしながらも云い得て妙で、実に核心を突いておると思った。
信用を大事にする。
約束は守る。
挑戦する気持ちを忘れない。
これらの気持ちが敬意とか信頼を生むのだと再認識した。
地道にこれらを積み重ねるしか道は無く、信用は僅かな事でもあえなく崩壊する。
これを肝に命じるしか無い。
短期間で敬意やら信頼を得ようとしても不可能なのだ。
魅力を備えたジジイとなって、「あ~良い人ばかりに囲まれてステキな人生だった」
こう思えて人生の終焉を迎える事こそ私の夢である。
この歳になって思う。
相手を変える事は出来ん。
自分を変えるしか無い。
魅力的な人間とは何ぞや…。
現時点での行き付いた結論。
大きい心を持とう。
細かい事は気にしない性分になろう。
大きい心とはツラい状況になってもグチらず現実を受け入れる心なのかも知れん。
さらに云えばツラい状況を克服する知恵を育めるゆとりのようなモノかも知れん。
プライドを持つのもやめよう。
プライドはすぐにワガママに直結する。
そうすると相手ばかりにナニカを求めるようになる。
すると、やがて幸せから遠ざかる人種の典型になってしまう事となる。
こうなれば人生ロクな事にはならん。
誰だって幸せになりたいから生きている筈だ。
でも、人生とは残酷で幸せな人も居れば不幸な人も居る。
そうなのだ。
幸せになるのも不幸になるのも自分の心掛け次第で天と地ほど変わってくるからバカには出来んのである。
大きい心に私は憧れる。
それはひとえに私自身が小さい心からなのだと思う。
随分改まったとは思うが、時としてすぐにカッとなる。
大きい心…それは云い換えれば「やさしさ」なのだろう。
だからこそいつの時代にも「やさしい人」が理想の相手のトップなのかも知れない。
夏の終わりに思いつくまま書いてみた。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今日も訪問に感謝致します。