いつも読んで頂いてありがとうございます。
毎回読者登録、イイね連打、コメに感謝致します。
先ずはお礼を。
前回のアメ限記事には沢山のあたたかいコメを頂戴しました事。
この場を借りて心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
ホントに良い読者様に恵まれると云うのは幸せ者ですね。
私に出来る事と云えば、誠意と心を込めてコメ返させて頂くぐらいしか出来ず、恩返しにはなっておりませんが、どうかお許し下さいませ。
今更ですが、この歳になると色んな事が起きますね。
たとえば悲しい時、泣き叫んだとしてその出来事がチャラになったらイイですね。
そうなれば、どれだけでも泣き叫ぶでしょう。
でも現実はそうもいかん。
早かれ遅かれ、現実を受け入れなければならん。
人との別れもそう。
あくまでも個人的意見だが生き別れの場合にはさほどツラくは無いように思う。
でも、良い人との別れは別だ。
もしもコチラに別れの原因となり得る非があったとしたら誠心誠意お詫びはするべきだと思う。
心からのお詫びも口で云うほど簡単では無いが、時には誠意を込めてお詫びしてみる事だって勇敢な事だと思う。
ここで気持ちが通じ合えたとしたらば、更なる絆に発展するかも知れない。
世の中には謝れない人も僅かに存在するが、そんな器量の小さい人間にはなってはいけない。
私は自分が悪いと思ったら、なりふり構わず謝罪出来る人には魅力を感じる。
これだって度量のひとつと云えないだろうか。
それでも許してもらえん場合は別れとなろう。
悲しいが、そうなった現実は受け入れるしか無い。
しかし、恋愛関係の別れは厄介である笑。
原因が自分の非とかの範疇では語れんからである。
だから恋愛関係まで発展した相手からの別れを切り出された場合の鉄則はこうである。
すぐに受け入れて忘れる事笑。
まかり間違ってストーカー行為など具の骨頂である。
女なんていくらでも居る。
魅力ある人は少ないかも知らんが、取り敢えずいくらでも居るのだから気持ちの切り替えこそが第一鉄則かと思う。
これの出来ん男も増えてきたから不思議である。
もしもフラれた女への仕返しがあるとしたらば、自分自身が魅力的な男になって、その女を後悔させてやる…ぐらいの自己満足を心の中で育むしか無いのでは無かろうか。
一方、死に別れはツラさマックスなのでは無かろうか。
昨日あたりまで普通にお付き合いさせて頂いてた人が急に…なんて事もこの歳になれば経験する。
実に儚いが、これだって避けては通れんから厄介である。
人間だけにとどまらず、飼っていた大事な動物との別れだって弩級の衝撃である。
このように、生きる事は試練の繰り返しである。
嬉しい事、愉快な事だけなら実に愉しいが、どちらかと云えばツラい事のが多いのが人生なのも皮肉である。
このように、人は生死も含め、どのような運命が待ち構えているか分からない。
突発的な天災、交通事故だって然り。
だからこそ他人の命にも自分の命にも油断してはならないと、この歳になって改めて思うのだ。
尚且つ、厳しいが我が身に起こった現実は受け入れる以外には無いのだとも云える。
それを受け入れた上に大事な軌道修正と云うモノが存在する。
時には泣き叫んでもイイ。
飾らない人間クサい人に幸あれ!
最近、シンガーソングライター松山千春氏のこの歌詞が心に沁みる。
凡庸ぼんようと云う歌だ。若い頃はそうでも無かったのだが、今の心境にしっくり来る。
凡庸
何もできないと思い悩むよりは
せめて悔いのない時を送ろう
こんなはずじゃない誰を責めてみても
すべて大切な私の人生
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
人は同じだけ風を感じている
同じ陽差し受け雨にうたれる
老いてゆくことも愛を語ることも
人は同じだけ夢を求める
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
強欲に生きている時代には感じなかった幸せと云うモノがちょっぴり分かってきた気がする。
言葉にするほどの幸せは無いが、涙にするほど不幸でも無い。
実はそれこそが充分に幸せなのかも知れない…。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今日も訪問に感謝致します。