娘の新生活の準備で

3月半ばからはずっと

忙しくしております🏃‍♀️

 

先日母業卒業おめでとうございますと

メッセージをもらった話を書きましたが

他の友達からもたくさんメッセージを

もらっていて、

みんな優しい😢

 

 

長かったとしみじみ思うのと

寂しい感じもします。

 

 

昨年サロン4期が終わってから

年明けまでずっとVoicy P以外は

セミナー等も全部お休みしてました。 

 

 

発信活動10年目のリフレッシュ休暇、

みたいな思いもあったんですが、

直接の理由はそれではなくて、

 

 

なんというか、

ただ「ちょっと休もう」

そう思って脱力してしまった

瞬間がありました。

 

 

色々重なっていたから娘のことだけじゃ

ないんだけど、

でも大きな理由の一つに

さあ6回生いよいよ大学生活も終わりか、

浪人してまで本心を選んで頑張ったね、

もうちょっと親としてできることで支えて

いくか、と思っていたところ

就職が決まったよって報告が来て。

 

 

「えええーなんと!」と驚いたんですが

 

 

そこからえらく脱力してしまって

気が抜けたというのか

「まだ何もサポートしてないけど」って

思ったんだけど、

 

 

なぜか何もしたくなくなったのです。

しばらく自己向き合いのみに

徹してぼーっと過ごしたい、と。

そう思って。

 

 

で気づいたのです、その時。

ほんと長いこと当たり前みたいに

踏ん張って生きてきてたから

麻痺していた部分もあるけど、

 

 

私、相当頑張って娘を

育ててきたんだな。って。

シコふんでるエネルギーで生きている

とある人に言われたことが

3年前にもありましたけど。

 

 

この仕事で起業するときも、

この子は道連れにしてはなるまい。

 

 

とそれだけは

心に強く誓って行動した結果

ものすごいパワーが出たのか

 

 

やりたいことで大きなエネルギーを

動かしてきました。結果はいちばん重要じゃない

けど、でもそれも出してこれました。

ほんと大きなエネルギーを動かしたと

思う。たくさん体験したのでもう

いちいち書けないけど。

 

ここまでやれた理由の一つは

娘のことがモチベーションに

なっていたことが大きい。

 

 

娘が小4の時シンママになってから

経済的にも誰にも一円も頼らず

(親にも頼ってない)

自分の腕だけで(職人さんみたいな

言い方だけど)

全てのことをやってきました。

 

 

その中で自分自身の願い、

学びたいこと、

働きながら大学もう1つ

行きたい、大学院も行きたい

と社会人学生を2回もやって

(これは相当大変だったけど

今に活かされている)

 

 

それ以外にもたくさん学びと人体実験に

投資してやってきました。自分のことも

諦めないぞ。を貫いてきました。

 

 

 

公務員でしたけど

無駄遣いしていなくても経済的には

やはり大変で、

さらに娘が医療系を目指して

浪人した時は相当喧嘩もしたし

(ええかなり)

大変な時期も何度も何度も通過しました。

 

 

うちの娘は浪人時代、全国模試で1位を

取った大学に落ちています🥲

(そんなことあるのかと思うけど 

 本当に起きた)

 

 

模試は大学の試験問題に準ずるわけでは

ないにしても、

全希望者の中で1位を取った

大学に落ちるってあるんだと驚いた

のですが、

 

 

「誰が落ちてもおかしくない

という学部だからそれはある」

って、娘もとても冷静だったのを

覚えています。

 

 

受かりたいと思っていた

ある大学の試験で

1年間血を吐くほど勉強したのに

 

当日お腹の調子が悪くて、

試験開始後20分で退出して2度と

教室に戻れず、

 

実力を出すどころか、試験問題にも

向かえないまま時間が終わって、

 

帰り道、泣きながら私が待っていた

カフェに戻ってきたこともありました。

 

 

あの時はもう自分が代わってやりたい

と何度も思って一緒に泣きました。

 

 

心配からつい親のエゴが出たとしても

いつも自分の内側を仕切り直して

「相手をどう見ているか」が

ブレてきたら、五次元的視点(その時は

この言葉を使ってなかったけど)に

戻して、

 

 

「やりたいことで生きていきなさい」

「やれると思えば必ず叶うから」

「お母さんができる範囲のことなら

 してあげるから遠慮なく甘えなさい」

 

 

と娘が自分の本心を生きる(初志貫徹)

よう伝えてきました。

 

 

道のりは平坦ではなかったけど、

自分の意識(相手をどう見るか)は

いつも実践でした。

 

「うちの子は大丈夫

 

 

その意識のみを採用。

これからも、なにがあっても

いつも大丈夫を採用。

 

それともう1つ、ここ1、2年は

「私も頑張ってきたもう母業を

 ぼちぼちと、卒業してもいい」

 

そう自分に言うようにしてました。

 

まだ家具すらきちんと入ってないし

物も揃ってない

新しいお家でなんとか

初日のお弁当だけ作ってやりました。

もうこんなこともあまりないかなと

思うと、お弁当お母さんがやるわ、

って言ってた笑

娘ゴーヤが大好物なんです。

 

 

 

私個人の考えではありますが、

 

 

自分のことだけなら

死んでても生きてても、ま、いっか

って思えるくらい

フラットだったりもするけど

 

今まで娘の人生を自分の都合で

好きにしてはならない、

という思いが

 

私の全ての行動のモチベーションに

なってきていたのです。

 

 

「私はもう十分頑張った」

その言葉をよく自分に言うようになった頃、

 

娘が「彼氏ができたよ」って

報告してくれました。

 

 

大学はずっと勉強が忙しく、

彼氏ができる気配もなく

まあ、

本人がそれを本当に望んでいるのかも

わからず、

 

でもいつも娘は

「彼氏がいてもいなくても

 私はいつも楽しい!」

 

って言っていたのが印象的で、

 

こりゃあ、

引き寄せコトダマに使えるな。

 

と密かに思っていたものです笑

 

 

「私はいつも楽しい!」が

引き寄せられて、結果的に神様みたいな

彼氏さんができたってことか、と。

(私的にはお地蔵さんみたいな印象の

 彼氏さん優しく慈悲深いお地蔵さん

 のイメージがあります笑)

 

 

 

あーもう見守ってくれる

人ができたんだ、、と思うと脱力、

(やれやれ)

 

そして就職が決まって脱力

 

そして無事国家試験に通ってまた脱力

 

 

私自身は教育現場で長年仕事を

していたにも関わらず、

子育てには向いていない、と

ずっと思っていました。

 

 

向いているかどうかは別にして、

娘が巣立つのを見て感じたことは

 

「私の魂は子育てを体験したかったんだな。

 自分にとって大切な設定だったんだな」

 

ってことです。

 

亡くなった母がよく私と妹に

「お母さんは、自分がどうなっても

 あんたたち(私と妹)が幸せなら

 それでいい、そのために頑張ってるんだ」

 

って言ってたんです。

 

昔はそれを隣で言われるのが

恩着せがましく聞こえて

嫌だったことがありました真顔

 

「あんたたちがいるからお母さんは

 大変なんだ」

 

そんなふうに感じたから、、

 

 

でも自分が50代になってみて母の

言っていた言葉の意味がわかるのです。

 

自分も全く同じになったって。

 

「娘が幸せなのが自分のいちばんの幸せ」

 そんなふうに思うようになりました。

 

そして可愛い息子が増えたみたいに

娘の彼氏さんとも楽しくやり取りを

させてもらえてるのが全く

予想しなかったことで、

 

この二人を見ているととても微笑ましいと

いつも思います。

 

卒業式は仕方ないので(笑)

パパも連れていってあげました。

右差しこんな冗談も言えるようになったなあ笑

 

十数年前は何もかもが地獄みたいで

大変で全てが嫌でしょうがなかったけど

気づいたらいろんなことが調和して

いるなあ、と

 

そう思います。

ほんと五次元、風の時代ですね。

 

あと少し母業をして娘を応援しながら

過ごしたいと思います。

 

これからお子さんの進路を応援する

という方もたくさんブログを読んで

くださっていると思います。

 

お子さんのパワーを信頼して

いつも「大丈夫」の意識を向けていて

あげてください。

 

これは子どもに限らず、

みなさんが関わる全ての人への

大きなエネルギー応援になります。

 

 

娘よよく頑張ってきたね。

母はこれからもずっと見守っています^_^

 

 

いつもお読みくださり

ありがとうございます。

 

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