何て横柄なタイトルなんでしょう。




不遜の匂いがプンプンと思った人。そうではありません。




人は「こうしたい、こうなりたいと努力すればそこに近づく」





言い換えれば「金持ちになりたいと思わない人は、金持ちにはなれない。」とでも言いましょうか。




なにせ、どういう人生にしたいかと思わなければ今をどう生なければならないかが分かりません。



そうです。将来の目標、将来どうなりたいかをまず考えることです。




私は貧乏がいやでした。絶対この貧乏から抜け出したいと思っていました。




私の家は赤貧洗うがごとしで、父親は出稼ぎに行っていましたが、稼いだ金は酒に代わり、あまり家にはお金を入れません。




母親は猫の額ほどの畑で採れたものを隣り町の八百屋に売りに行き、兄弟5人何とか成人しました。




「金がないのは首がないことと同じ」母親の口癖です。(でも今から思えば貧乏はくすりだと思えるんですが。)



さて、何もない私が貧乏から抜け出すにはどうしたら良いでしょう。



私の考えではそのチャンスは結婚が手っ取り早い方法だと思っていました。




それで私は結婚するんだったら、金持ちで、美人で、気立てが良くて、仕事が出来て・・・・な人と結婚しようと思って探しました。




打算的だと思われるでしょうが、人は皆打算的です「3高」という言葉がはやりましたが、これも打算の象徴です。でも正直で良いんじゃないですか?



夢は大きく、望みは高くです。




さて今の奥さんはいくつあてはまるでしょう。全部当てはまっているといわなければ殺されるかも。(前置きが長くて済みません)




不足する見込みの3500万円どうしようかなと思っていた今から5年前(だったかな)




奥さん名義の土地にアパートを建てませんかと言う話が来ました。




そうなんです奥さんの土地が区画整理になったんです。




結婚して30数年。種を植えて水をやった小さな芽にやっと実がなりました。「人は思ったようになる」そうです。



これで、3500万円の不足も何とかなる道が開けてきました。



私の3人の子供たちにも小さいころから口を酸っぱくして言このような話をしました。



でも、結婚した娘のだんなは金持ちではありませんでした残念!切腹!



でも何だか「ほっとした自分」がいました。