ひでです。お早うございます。志布志城は5月6日に行ったお城です。

麓にある志布志市埋蔵文化財センターには、当時の内城の姿を想定復元した模型が展示されています。ここで、在りし日の城をしのび、お城へ行く道を教えてもらいました。

志布志城って一つじゃないんです。4つもあるんです。その中で初心者でも簡単に行けて、素人でも城跡って感じが分かるところはどこだって聞きまして、内城へ向かう事にしました。

志布志市志布志町(笑)を流れる前川の、河口部のシラス台地の先端に内城・松尾城・高城・新城の4つの山城が存在しています。この4つの山城を総称して「志布志城」と呼びます。なぜ4つもあるのかって?聞きましたがよくわかりませんでした。笑

場所:鹿児島県

城主:救仁院氏→楡井氏→畠山氏→新納(島津)氏→肝付→島津

石高:

別称:白雉城

来歴:鎌村時代には国衆の救仁院氏が治めていたんですが、楡井氏、畠山氏と領主を替え、南北朝時代には新納氏が治めましたが戦国時代には肝付氏が占拠しました。信長の野望では内城の城主は肝付兼続ですね。

(小学校横の駐車場に車を止め、内城の本丸に向け進みます)

古くから志布志は良港に恵まれ、遠く異国とも貿易をして繁栄していたようで、中世においては、陸上交通より、船で一度に大量の物資を運搬できる海上交通の方が発達していたので、志布志を支配する事には大きな意味があったのです。

内城跡に向かいます。

切立った(黄色のライン)堀切跡でしょうか?

立派な堀切の跡を進みます。

真っすぐ上がれば本丸です。

昼なお暗き何ですが、お城があったころは木なんかなかったんでしょうね。

本丸までもう一息です。

本丸に到着です。南北朝時代に志布志城を居城と決めた氏久公の名前が書かれていました。

本丸には三宝荒神が祀ってありました。

中世以降の志布志を巡る争いの中で、前線の拠点として築かれた大規模な山城を堪能し山を下りました。

 

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