ひでです。お早うございます。最初に向かったのはインド門です。ここへ行くには地下道を通ります。地下道には色々写真で説明がありました。

ここは公園のようになっていて、インド門の反対側は大統領の官邸や政府の建物があります。

大きな公園なんで、右を向いても大統領官邸は見えません。笑

左を向けばド~ンとインド門です。

高さ42メートルのインド門は第一次世界大戦(現地ガイドはFirst World Warって言うんです。それって何?)で戦死したイギリス領インド軍の兵士7万人の記念碑として建てられたそうです。

私たちの専属ガイドでなんで2人で映っている写真の多い事。笑

インドが独立する前のお話なんで、門にはイギリスの兵士や将校の名前も書かれています。

そのガイドが色々なポーズを取らせるんで面倒くさい。

かと言って奥様がいつものポーズを取れば「それは何ですか?そんな恰好をすれば会社に怒られます」って、何で?

「大女に見えるからやめて欲しい」という奥様を無視して「ベストショット」を連発します。

向こうの天蓋の中に居るのは誰でしょう?

「これは誰ですか?」って聞くと「○○〇様です。独立にとっても頑張った人です」って。さっきも言いましたが、発音がネイティブ過ぎて何を言ってるのか分かりません。聞き直しましたが、理解不能で聞き返すのを諦めました。これからの旅行中、カタカナはネイティブで日本語は語彙が少なく、分からないことが多々ありました。奥様は「ろくにガイドもしないで話しても意味が解らないし」って。

今までエジプトでもトルコでも現地ガイドさんは皆さん流暢な日本語をしゃべっていて、理解不能な事はなかったんですが・・・期待しすぎでしょうか。

ところが、ネットの繋がるところで調べると何と像はチャンドラ・ボースですって。

インド人で日本と馴染みが深いのはパール判事とチャンドラ・ボースです。

パール判事は第二次世界大戦後の東京裁判で連合国が派遣した判事の一人で、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、「植民地を支配する連合国が敗戦国をどのような法律で裁くのか」と被告人全員の無罪を主張した、いわば日本の恩人です。

チャンドラ・ボースはガンジーと並び称される、インド独立に生涯をささげた人です。でも、「ガンジーの行う非暴力運動のような高尚な哲学ではいつまでたっても独立はできない。武力のまかり通る世の中では通じない」として、袂を分かって武力による独立を目指します。

その後、ファシズムに傾倒した彼はヒトラーやムッソリーニとコンタクトを取りますが上手く行かず、日本に接近します。そこで、インド独立を目指すボースと、連合国軍に対して劣勢となって来ていた日本軍にとって補給基地を叩くという思惑が一致して、悪名高いインパール作戦が実行されたんです。

終戦直後に不慮の事故で亡くなったボースですが、これで白骨街道で亡くなった3万人ともいえる英霊も少しは安らかになったのかな?

こういう因縁の深いチャンドラ・ボースの像だと、あの場でわかっていたら挨拶のしようもあったと思うと思うのに、ガイドさんがね~。笑

 

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