ひでです。お早うございます。それから行ったのはフマユーン廟です。1つ目の世界遺産です。
信心深い人の多いインドではあちこちに神様がいて皆さん拝んでいます。このドライバーさんはシバ神でしょうか。
ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓です。王妃ベーグムが作りました。
2代皇帝のフマユーンはべンガルを治めるシェール・シャーに大敗し、君主の座を奪われてペルシアに亡命、流浪の生活を余儀なくされましたが、やがて王妃の出身地ペルシア王朝の支援を受け、シェール・シャーの死を契機にスール朝(スール・シャーの王朝)を滅ぼし王座に返り咲きました。
広い敷地です。フマユーン廟までなかなか遠いですね。
右側にも遺跡があるようです。行ってみましょう。
スール朝のシェール・シャーの宮廷に仕えた貴族イーサー・ハーンの墓廟もありました。
宿敵スール朝の貴族の墓も同じ敷地にあるなんて、インド人の懐の深さを感じました。
これは何だった?イーサー・ハーンのモスクだったかな。
フマユーン廟はまだまだ先です。
誰だったか?の墓だそうです。
ここは西門です。
ここは門の中にある廟の全体像です。私達は奥の方から来ています。
壁の穴の向こうに見えるのがフマユーン廟です。
折角アーグラとデリーを奪回して北インドの再征服に成功し、ムガル帝国を再興したマフユーンでしたが、翌年に図書館の階段を踏み外して死んでしまいました。あっけないですね。
またガイドさんがポーズを要求します。「ナイスショット」はもういいって。
後年作られたタージ・マハルのモデルになったマフユーン廟は左右対称で綺麗ですね。二階建てになっています。
入り口の階段を上へ上ります。フマユーンのように階段から落ちないように気をつけて。笑
2階の入り口へ
2階のテラスには鉄格子の入った排水施設の様なものが。聞くと、牢獄だそうです。
そういえばセポイの乱が起きた時、担ぎ出されて反乱軍側についたムガル朝最後の皇帝がこの廟に避難ましたが、イギリス軍に鎮圧された時に皇帝に従っていた兵士がとらわれていたんでしょうか?。
ガイドさんに聞くと「そうです」。それくらい説明してください。
建物の中にはフマユーンの棺と
王妃ベーグムの棺と王子たちの棺も有りました。ですが、本当の遺体は下の階にあるそうです。そうでしょうとも棺が小さすぎると思いました。
天井のドームです。イスラム建築によくありますね。
2階部分の4つの正方形はそれぞれ面取りがされていて、八角形にもみえる素敵な建物でした。
これは1階
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