ひでです。お早うございます。それから行ったのは、クトゥブ・ミナールです。1200年ごろに奴隷王朝の創始者のアイバク将軍によって作られた塔です。本当はモスクに付属して建てられたミナレットです。

アイバクは奴隷から身を起こして皇帝にまで上り詰めるなんて凄い人です。

今日3つ目の世界遺産です。

モスクは破壊されていますが、ミナレットだけ健在です。

因みに、毎年貰っている農協観光のカレンダーは、今年は塔シリーズでしたが、その中にちゃんとあるんです。

可愛いリスが沢山いましたが、ここだけでなく何処へ行っても居たんです。

壊されていますがインド最古のモスクで、ミナレットは今でもインドで最も高い石の建物です。

最初のイスラム政権で、勝利の塔を意味しイスラムの力を示したものだと思います。

「ここがカメラスポットですよ」と遺跡の説明をするより写真を撮りまくるガイドさん。自分の写真も自撮りしてるんで???。笑

現在の高さが72.5mありますが、地震や落雷などで先端が崩れました。建設当初は100mほどの高さがあったということです。

ところどころにコーラン書かれた水平層がまわっていて、装飾効果を高めています。

赤とベージュの砂岩でできた クトゥブ・ミナールの第1層には、半円形と三角形が交互にくりかえされています。

以前は塔内部を一番上の先端部まで上ることができたそうですが、修学旅行で登っていた女生徒が、照明が消えてパニックになり階段で折り重なって倒れ、十数名が死傷するしたことがあって以来内部への立入りは禁止されたそうです。残念ですね~登ったのに。嘘です。笑

周りの遺跡を見ます。

イスラムの力を示すために、ヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊して、その石材を転用して制作されたそうです。

「イスラムはそんなことばかりしているんで○○です」とガイドさん。そういえばバーミヤンの遺跡をイスラム教徒が破壊していましたが、一部の人だと祈りたい。

モスクの入り口の大きなアーチが見えます。

崩れてしまったモスクですが、残された巨大な壁の装飾は見事

さすが偶像崇拝を認めないイスラーム教ですね。像は見かけませんでした。

インド様式の美しい柱の数々を眺めて廻るのも楽しいですね。

皇帝イレトゥミシュの棺がありました。彼はアイバクの後を継いだ人物で、やはり奴隷軍人の出身だったそうです。2代続けて奴隷の出身だったので奴隷王朝と呼ばれています。

北インドを支配したスルタンの霊廟としては小さいような気もしますが。

白い大理石のミフラーブのようなものはメッカの方角に向かっているそうです。

凄く細かい装飾ですね。偶像を崇拝できないので装飾が細かくなったのかな?

ここへ来たかった一番の目的はデリーの鉄柱なんです。

私の愛読書に出てくるオーパーツです。皆さんオーパーツを知っていますか?

オーパーツと言のは、発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる出土品や加工品などを指します。

例えば

・インディージョーンズに出てくるクリスタルスカル(偽物?)

・コロンビアの遺跡から出た黄金のスパースシャトル

・限りなく真球に近いコスタリカの石球

・南極大陸が書かれているピリレイスの地図

・風雨にさらされても錆びないアショカピラー(デリーの鉄柱)

・デンデラの電球

・古代アステカの頭蓋骨開頭手術

・ナスカの地上絵

・マチュピチュ

・ストーンヘンジ

・カッパドキア・・・・などなど

それが目の前にあるんですひで〇き感激!!!

一般的にアショカ王の鉄柱(アショカ・ピラー)と呼ばれていますが、アショカ王より700年も後のチャンドラグプタ王と思われる名前が書いてあるんでアショカ・ピラーと言う名前は使わずデリーの鉄柱と呼びます。

とはいえ、1500年もの間、風雨に曝されながら錆びなかった理由は・・・以前は鉄の純度が高いと言われていました。同じく純度が高い日本刀も風雨にさらせばすぐに朽ちてしまうのに?。

じゃあ、どうして錆びないのか。インドでは鉄を精製する際にリンを含む植物を加えていた記録があり、その鉄を加熱しながら叩くと、鉄の表面はリン酸化合物で覆われるそうです。鉄柱の表面がリン酸化合物でコーティングされ、錆に強い鉄柱が完成するというのが現時点の結論です。

人類は錆びない鉄を追い求めて、ステンレスやダマスカス鋼などが作られましたが、それが1500年前にもう作られていたんです。

ですが、表面は錆びているような・・・。笑

今では触れなくなっていますが、昔は皆さん自由に触っていたんでそれこそ不純物が付着したんでしょうね。

私たちも多額のチップと引き換えに触らせてもらいました。です。そこまで何でもありでは有りませんでした。笑

クトゥブ・ミナールとデリーの鉄柱の揃い踏みです。

未完のミナレットのアライ・ミナールです。財政難で工事が中断し、今は25mの巨大な基底部だけしかありませんが、完成していればクトゥブ・ミナールを超え、100mを大きく超える塔になっていたとされています。

さあ、これからジャイプール迄6時間弱の道のりです。混んでるんで車を止めると物売りが・・・ここはエジプトと同じです。

運転の荒さは変わりません。6時間の間、少しでも隙間があれば割り込む、2秒に一度はクラクションが聞こえ、急ブレーキと急発進が繰り返されます。その度に体に力が入り、ぐったりします。

長い道のりなんでトイレ休憩です。

「お腹空いてませんか?のど渇いてませんか?チャイ飲みませんか?」何時でも何処でもチャイを推してきます。「じゃあ、チャイを」本当は要りませんが折角勧めるんで。本当は自分が飲みたいだけじゃないの?。まあ、美味しいんで良いんですが。

夜遅くなってホテルに到着です。お昼に「時間は沢山ある」ってどの口が言ったんでしょう。「今日はお湯は絶対大丈夫です。いいホテルなんで」と太鼓判を押します。

夜10時ごろホテルに到着しました。

この旅唯一のバスタブのあったホテルでした。

ご飯を食べに行ったんですが、この人込みって何?

もしかして、インドの人は夜10時頃に晩御飯を食べるのが当たり前?

メニューと言えば

何時ものようにスパイシーな料理だけです。

もうこの頃になると、ホテルのご飯の内容が分かるようになって・・・あまり食べたいものがありません・・・

ナンだけは美味しいんで、私は付けて食べるように色々なものを持ってくるんですが、奥様の食がだんだん細って来ます。痩せるかもしれません。笑

寝たのは12時過ぎでした。日本時間で言うと朝の3時過ぎです。

3時なんて日本ではいつも起きてる時間ですが、時差に関係なく問題なく寝れます。郷に入っては郷に従え!。足が痛くても3万歩あるいているブロ友の事を考えて頑張るぞう~。笑

 

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