ひでです。お早うございます。インドのホテルの朝食は7時~7時半にオープンします。ちょっと遅いですね。夜遅くて、朝も遅い。これがインドの生活スタイルなんでしょうか?

それに、7時からと言っても、7時から用意するといった意味なんで、時間に行っても何にもないんです。それからぼちぼちと出てくるんです。笑

その日は8時出発だったんで、全て用意してから7時半に食堂に来ましたが全部はありませんでした。がっかりです。

多くのホテルに果物にバナナがありませんでした。道端に沢山売ってる安い果物なのに。

今日は好きじゃないスイカがありました。日本のように甘くなくシャリシャリしたスイカで私の好きな感じでした。これなら食べれる。

得体のしれない調理です。スパイスの臭いがしますのでパス

牛乳で作ったパンです。口に合いません。私には美味しくありませんでした。

ヌードルもあるんだ。焼きソバみたいなビーフンみたいな。あまりスパイシーではないんでこれなら食べれます。

何かの煮込みですね~。日本だったらカレーの部類ですね。スパーシー過ぎて辛くて何を食べても分かりません。

これは美味しくありませんでした。

パラターだったかな?チャパティーだったかな?ナンに近い味がしてるんで、基本この類は美味しいです

チャパティでしょうかプーリーだったかな?よく分かりません。笑

どこへ行ってもパンが焼けるんで奥様は餓死しませんでした。笑

私は少し残しました。だって食べないと味が分からないんですから。あまり食べれなくて2人共旅の間で体重の増加は有りませんでした。笑

先ずアンベール城へ行くんで、ジャイプールの街を抜けていきます。

流石ピンクシテイ―と言われるジャイプールですね。橋げたもピンクです。

ラージプート族(ヒンドゥー教徒)の有力藩王(日本でいう領地替えのない大名かな)が治めていたジャイプールです。最初はアンベール城で市政を取っていたんですが、

(旧市内へ入ります。)

人口の増加・水不足からジャイプールの街で政治を行うようになりました。

イギリスがインドを植民地化した時代でも、イギリスに対して一定額の税金を納めるなどして領地の自治権を認めてもらっていました。

ムガル帝国はほろんだのに(徳川幕府が滅んだのに)藩王の方は(大名の方は)インドが独立するまで領主として君臨していました。不思議な巡り会わせですね~。

インド皇帝だったヴィクトリア女王の息子のアルバート王子が、この地を訪れ藩王一家の歓待を受けました。この時に街の建物をピンク色に塗って歓待したそうです。

それをきっかけに、以降建物にピンク色の塗装が施されるようになり、現在でも「ピンク・シティー」と呼ばれる風景を作っているそうです。

さっき門をくぐって旧市内へ入りましたね。旧市街は城壁で囲まれていて、城壁には7つの門が設けられています。こんどは門をくぐって市外へ

しばらく行くと城壁が見えます。

城壁の途中に門があります。門をくぐるとアンベール城の域内です。

「対岸にアンベール城が見えるベストスポットです。写真を撮りましょう」と言う事で車を止めます。

息をのむほどの景観です。大きいですね~。

生憎雨が降ったりやんだりで、もやっていました。
ちょっと見ると蛇使いが居ます。笛は吹いていませんでしたが、コブラを触れるようです。「ひでさんも触ってみたいですか?」と聞くんで「もちろんです」
なんだかんだと交渉してくれて、帽子をかぶせてくれる蛇使い。「ここを触れ(と言ってるような)」昔は蛇を触って遊んでいたんで何ともないんですが、相手はコブラです。顔が引きつっています。笑
コブラで遊んで50ルピーでした。もちろん何でもお金ですよ。笑
向かいの山にも城壁があり、(見にくいので線を引きました)

ずっと城壁が続いていました。まるで小さな万里の長城みたい。

昔、万里の長城へ行った時の写真です。やっぱりスケールが違いますね。

使用前・使用後の写真です。笑

この日は丁度象の祭りがあるそうで、象に乗っての登城はできませんでした。本当は象に乗ってアンベール城に登城する計画でした。_| ̄|○

「でも大丈夫。違う所で乗ります」ですって。急に決まるお祭りだそうで仕方ないですね。

狭い脇道を車で進み、登城口まで行きました。(上の写真です)

 

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