ひでです。お早うございます。バラナシから車で15分くらい、仏教四大聖地の一つサールナートに来ました。四大聖地ってわかりますか?。お釈迦様が生まれたルンビニと悟りを開いたブッダガヤ、そして亡くなったクシナガル、それに今日訪れている初めて教えを説いた場所サールナートです。

そこに建つムルガンダ・クティ寺院は初転法輪寺とも呼ばれます。昭和6年にインド大菩提会が建立したそうです。見慣れない形のお寺ですね。

通路の右側の方にはスリランカの仏僧のアナガリカ・ダルマパーラさんの像がありました。マーハボディ協会の創始者だそうで、風前の灯火だった仏教復興の先駆者として知られているそうです。

だから寺院はスリランカ系の仏教寺院ということなんですね。

この寺院の内部には仏陀の生涯を描いた壁画があります。戦前の昭和6年から5年かけて日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)さんが描いたそうです。

野生司さんの実家は浄土真宗のお寺で、大正6年に前島密の支援を得てインドへ仏教美術研究のために渡ったそうです。戦前の話ですからインドを旅するのも大変だったでしょうね。この絵はインド政府からの要請だったと聞いています。

先ず、お釈迦様が誕生されたところです。ゴーダマ・シッダールタは紀元前5〜6世紀頃にルンビニ(今のインドとネパールの国境付近)今で生まれました。シャカと言うのはシャカ族の王族に生まれたから付けられました。

誕生した直後に立ち上がって、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。

結婚もし、子供をもうけて満ち足りた生活を過ごしていましたが、城から初めて外出した時老人に会い、2回目の外出では病人に会い、3回目の外出では死者に会い、この世には老いも病も死もあると、避けられない苦しみを感じたそうです。

その後、賢人と会い、老いと病と死にとらわれない違った生き方を知り、出家して苦行を行いました。村娘のスジャーターから乳粥を施され(私たちは明日スジャータ村へ行きます)苦行しても悟りを得られないと悟った(笑)シッダールタは苦行が間違えていたことに気づきます。

その後ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想に入ると、悪魔や鬼神の脅しや誘惑を受けますが、強い決意で退け悟りを開きました。

サールナートで初めて説法してから多くの弟子を育て、最後はクシナガラで入滅して生涯を閉じました。

年老いたお釈迦様は、最後の歩みをクシナガラに向けて歩いていましたが、腹痛で苦しみ、サーラの林という所で横たわり、そこで大勢の弟子たちに囲まれて亡くなったと言われています。入滅したのはお釈迦様が80歳の時だそうです。

お久しぶりですね、お釈迦様。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

お寺を出て右の方へ行くと

初転法輪・・・お釈迦様が「鹿野苑」(鹿が多く住む林)で初めて教え説法しているところです。悟りを開いたお釈迦様はまず、苦行をともにした五人の修行者に説くことにしました。

最初五人は、シッダールタが苦行を止めた裏切り者として蔑んでいましたが説法を聞くうちに深く感銘し、お釈迦様の考えを広めようと弟子になりました。

でも、お釈迦様の顔は何とかなりませんかね。

初転法輪の周りにはマニ車が取り囲んでいました。

マニ車を1回転させたら1回お経を唱えたのと同じ功徳があると言われていますが。先に回していた人は「逆です」とチベットの老婆らしき人に注意されていました。逆に回すと駄目なようです。笑

近くに日本のお寺があると言う事で行ってみましょう。

日月山法輪寺と書いてあります。

ここだけ日本でした。懐かしい~。

涅槃佛の前で「何妙法蓮華経」と言うお経が聞こえます。なんだ~日蓮宗ですか。

 

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