ひでです。お早うございます。ブサワル駅からアジャンターへ向かいます。ここが12個目の世界遺産です。

途中でイノシシが村を歩いていたり・・・飼われているんでしょうか?おとなしいんで野生ではないと思います。

牛が歩いていたり、とにかくのんびりしています。

パイナップルも売っていました。暖かい土地へ来たんですね。欲しいですがナイフがないんで買えません。今度から旅行に行くときはナイフも持ってくるべきかな?

遺跡を見る前に、お昼ご飯で腹ごしらえです。

食べれるものは少ないですが、果物が沢山ありました。良かった~。

アジャンターに着いてバスに乗り換えます。遺跡を守るため電気バスです。

なぜだか知りませんが、並んでいる人をしり目に先頭へ。きっとワイロを渡して先頭へ行ったものと思われます。知らんけど

とにかく、バス3台分ほど先に行けました。

並んでいる子供たち、ごめんね。

アジャンター石窟寺院は、1819年に藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われて渓谷に逃げ込んだ時に、馬蹄形の断崖に窓のようなものを見つけたことが発見の切っ掛けになりました。

彼がアジャンターの石窟寺院を発見したときには、遺跡は放棄されてコウモリの住処になっていたそうです。
石窟寺院が作られた年代は、紀元前1世紀ごろから彫られ、300年後にはいったん放棄されますが、3~5世紀に大乗仏教が普及するに伴って、再度開窟されます。この時に彫刻や絵画が多く作成されました。
玄奘三蔵もアジャンターへ訪れたというお話があります。三蔵法師の見た風景を私も見ているんです。感激~

アジャンターに到着です

ここからは歩きです。

ヒンドゥー教が隆盛になってくると、お釈迦さまもヴィシュヌの化身というように仏教は取り込まれて衰えていきます。当地の王朝がヒンドゥー教を国教化すると、この石窟寺院群は7~8世紀頃に放棄されてしまい、密林の中に埋もれることとなりました。

男坂と女坂が有りましたが、だらだら上るともっと疲れそうだから男坂

右側から第1窟・第2窟と続いていくんですが、年代順じゃないんです。昔は川沿いに道が有ったので、そこから上の方に道を切り開いて、空いたところに石窟を作ったので順番と年代はバラバラなんです。

(これが分かりやすいかな?ネットからお借りしました)

人が入ると遺跡は痛みます。高松塚古墳も私が行ったときは入れましたが、今は立ち入り禁止になっています。

遺跡の痛みを少なくしようと、2001年にワゴラー川に橋を架け(上の赤丸)、遺跡の第10窟に行く道をつくり、観光客を左右に散らすようにしたそうです。

それまでは、第1・第2窟から順に回るようになっていましたが、最も有名な壁画のある第1,2窟に人が溜まり、傷みが避けられないので、人の流れを分散させようと道を新設したそうですが、やっぱり第1窟から順に回る人が圧倒的に多く、あまり効果は無いようですね。(翻訳こんにゃくを使って見ました)

ここを訪れた中には岡倉天心も居たようです。明治時代にここまで来るにはさぞ大変だったことでしょう。

さあ、第1窟に入りましょう。5世紀後半に建てられた後期窟だそうです。

見学が終わってから買ったこの本を読んでいると、遺跡の特徴はアジャンターは平面的な絵画で、エローラは立体的な彫刻なんです。エローラへ行って改めて思い知らされたんですが、アジャンターの見学は終わってしまっていて少し残念でした。

私たちのガイドは、あまり遺跡の説明をしてくれないんで・・・綺麗な絵があります・・・くらいで、写真に撮ってなかったかな~と思ったんですけど

撮っていました。最も魅力的な壁画のひとつ金剛手菩薩です。

褐色の肌、力強い雰囲気で、金剛(ダイアモンド)を持つとされる菩薩像です。

シッダールタが王子の時の宮廷内の生活です。

壁画とか彫刻を堪能しようとすれば、事前に全ての絵と物語を熟知して、それらを、現場で確認しながら見て回る。でも、時間は凄くかかります。

私の様なうる覚えの予備知識だけだったら、写真を撮るだけになってしまいます。ガイドさんの説明も、一部だけなので右から左に耳を抜けていくだけです。しようがないですね。

宮廷内の絵です。シッダールタ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をしますが、妃や宮廷の女たちは出家を思いとどまらせようとしてるんですって。

絵も素敵だったんですが彫刻も素敵で、あっちこっち見ていたんですが、もっと絵の方を中心に見ればよかった~。

ジャジャジャ~ン。これが奈良法隆寺金堂の観音菩薩のルーツと言われている蓮華手菩薩です。ちゃんと見てるじゃありませんか私。笑

アジャンタを象徴する、インド古代仏教美術の最高傑作とも謳われ、右手に蓮華の花を持った姿をしています。白い肌と目を伏せた表情が印象的で、先ほどの金剛手菩薩とは対照的ですね・・・・感激です!!

因みに、これが火災で焼失した奈良法隆寺金堂の観音菩薩壁画です。左右に居る菩薩の書き方が、蓮華手菩薩をルーツにしているんじゃないかと言われていますが・・・・偶然のような気もしますが。笑

これは似ているかな?法隆寺の内陣に書かれた菩薩です。

(ネットからお借りしました)

シッダールタ王子が沢山の奴隷にかしずかれた生活から苦行に道に進みます。

引き止めきれず王子は王宮を去り、残された妃は深く絶望し、下女たちに囲まれて快楽の生活にうずもれてゆくという場面だそうです。

昔の人はほとんどが文盲でしょうから、そんな巡礼の衆生にも分かりやすいように絵で現されているんです。

シッダールタ王子が苦行の中から悟りを開くまでの物語が描かれていると思いると思います。

大半の石窟には、礼拝用のチャイティヤ窟(祠堂、しどう)と、修行僧が生活するヴィハーラ窟(僧坊)に分かれるそうです。

第1窟は後期のヴィハーラ窟です。

天井には植物の模様が見られますが、これはペルシアの影響があるといわれています。

柱頭の彫り物も素敵ですね。

第1窟を出ます。

第2窟です・・・だと思います。ここも5世紀後半のヴィハーラ窟(僧坊)でそうです。

綺麗な彫刻ですね。

天井も綺麗です。1500年も経ってるなんて思えません。

壁面にはブッダの絵が沢山

千体仏と言うらしいです。

子供を食らう鬼の夫婦らしいんですが・・・・。何故ここにある?

正面にお釈迦様が、王者風の姿で天人に説法する様子が描かれています。

それと、分かりずらいですが、黄色丸のところに生まれたばかりのシッダールタが横にだっこされてます。王子の右が母のマヤ夫人だそうです。

右に居るのは青年になったシッダールタらしい。

昔からこの付近には虎がいました。虎はワゴラー川を水場にして近くの農家の牛をしばしば襲っていましたが、今は野生の虎はすでに絶滅してしまいました。

それで、森林局が繁殖を計画してつがいの虎を放したので、最近では子ども連れの虎が山野を歩いているそうです。観光客が多い時間は山奥に逃げこんでいて、夜になると石窟に戻ってくるようです。朝、管理人たちがいく頃には既に姿を消してるそうです。

因みに、比べるのはおかしいんですが、去年行ったエジプトのネフェルタリの墓は本当に極彩色で目を奪われました。今でも約3300年も昔の絵だとは思えませんでした。

ほら、綺麗でしょ、絵が。笑

けっして比較するものでは有りませんが、ブログを書いていてそうだネフェルタリを見たんだったと思い出したもんで。また機会があれば見に行きたいですね~。でも、その前に行きたいところが沢山あるんで、だいぶん後になりますね。笑

 

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