こんにちはニコニコ


いつも足を運んでいただき、
ありがとうございます。


まだまだ書き進めていかないと
いけないことは山積みなのですが…

まだDV被害を受けてから、病院に受診して、
警察署に行ったところしか書いてないカタ((((꒪꒫꒪ ))))カタ



もうひとつの記事で、
ざっと流れをまとめようと思ってます。










今、陽那さんと娘ちゃんは大丈夫なの??


よく心配されています( ˃ ˂ )
そりゃ、こんな状況って聞いたら
私でも心配しちゃいます( ˃ ˂ )💦


私と娘は、
細々としながらですが、
今は、必要最低限な家具家電を揃えて、
なんとか生活させてもらっています。


私が娘と一緒に母子保護施設に逃げた時。
所持金は通帳に入っていた、
カードの引き落としが掛かる前の10万円。

すべて奴に吸い取られていたため、
貯金も全くなく、
その10万円だけで、
引越しをして、家具家電を全て揃えて…
は、絶対無理な話でした。

しかも、肋骨骨折をしていて、
1ヶ月は安静にしていないといけない身体で、
働くこともできません。




もう、おわかりだと思います。
私は国の援助を受けることにしました。




そのおかげで、

引越し費用
(初期費用などのはじめに掛かるお金など)
家具家電のお金
(家具什器費では4万円くらいなので、
全ての家具家電は揃えることはできませんでした。
洗濯機、冷蔵庫、電子レンジでも足りなかったかな💦)
衣服費、布団代
(夏物3着づつ、靴も1足づつしかなかったので、
少しだけ揃えました( ˃ ˂ )
布団もニトリで安いものを買いました!)

そして、
生活費。

こちらをいただいで、
生活させていただいています。




もちろん、すべて揃えることはできないので、
やりくりしながら買い足したり、
丁度、給付金があった時期だったので、
そちらを使って、安いものを買い揃えました。

(冷蔵庫なんて1人暮らし用の小さいやつだし、
ほぼ100均のものを使って工夫してます、
私の洋服ダンスはないし、
娘の勉強机も買ってあげれていません。。

でも!
この間ばぁばと会った時に事情を察知してくれて、
ニトリで買ってくれましたえーん
本当にありがたやー💦
今月末に届く予定です😭✨)





私は、
ずっとこれを受ける気は全くありません。


奴との裁判が落ち着き、
あとは債務整理が落ち着いたら、
また看護師として仕事をします。

今月中には、就活する予定です。



私自身も、
この国の制度には
ずっと偏見を持っていたひとりです。

実際に、自分がなってみると、
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいです( ˃ ˂ )

こんな風に国からお金を貰っていて生活させてもらって、、
私は生きていていいのかな……って
よく思うことはあります。。

なんていうのかな、、
死にたい、とかではなく、
本当に申し訳ない気持ち。
でも、働くにまだ働けないもどかしさ。
新しい職場への不安。
これからの生活の不安。。

なんだか、またグルグルしてます(´・ω・`;)



でも、これだけはわかりました。

本当に、私みたいな境遇の人には、
ありがたくて、
なんというか、
生かされてるというか、
国は見捨てないでいてくれたというか。。

多分、
私にしかわからない気持ちですよね( 。›ω‹。 )





そんなこんなで、

私と娘は国の制度に助けられながら
なんとか生きています( ˃ ˂ )









そして。

奴との傷害事件の裁判。


つい先日、判決が出ました。


予想通り、
懲役1年6ヶ月、執行猶予3年
とのことでしたチーン

やっぱり実刑にはならなかったーーーー。。




こんだけ、
私の人生めちゃくちゃにして、
娘にもいっぱい迷惑かけたのに、

奴はのうのうと生きてるんだと思うと…


本当に、言葉にあらわせないくらいの
感情が出てきてしまいます。


本当に、バチが当たればいいのに。












最後に。



肋骨骨折に関しては、
2週間経過した時に、
母子保護施設の近くの整形外科に受診しましたが、
骨のズレが酷くなっていて、
肺に血が溜まってしまうくらい、重症化してましたえーん
まぁ、毎日無理して動かないとでしたからねー。。
安静なんてしてる暇がないくらい、

埼玉の家のこと、
車のこと、
携帯のこと、
職場のこと、
学校のこと、
裁判のこと、
新しい生活のためのこと、

弁護士事務所に行ったり、
役所、警察署に行ったり、面談やら、
勉強会やら…なんだかワタワタ過ごしていましたチーン


これ以上酷くなったら入院しないとかも、
とまで言われてしまったので、
本当にしんどかったです、あの頃は(´;ω;`)

私、痛みに耐えて、よく頑張った💦
精神的にも身体的にもボロボロだったなーーー。。



そして、1ヶ月診察の時には、
血胸も落ち着き、
やっと、普通に生活して大丈夫との
許可をいただきました。

ここの整形外科の先生は、
とってもいいおじさん先生で、
全部事情も知っていてくれて、最後の診察の日、


もうこれで怪我の方は大丈夫かな。
本当に、大変だったね。
この間、警察の人が来て、
医師の判断が欲しい言われたからこう言っといたよ。

この酷い骨折は、
誰かに外からやられた以外には考えられない。
自分で転んで折れた、とかでは絶対ない。
これは重症な怪我です。
肺に血まで溜まってしまっています。
○○さん(私)をここまでしてしまった、
相手にはちゃんと罪を償って欲しい。

そう、伝えといたからね。

新しく行く場所はもう決まったの?

新しい場所で、新しい気持ちで、頑張るんだよ!
応援してるからね!お大事にね!



この言葉を聞いて、
なんだか涙目になったのを覚えています。









肋骨骨折だけでも、
傷害事件の重要な決め手になりましたが、

私の右腕にはすごいアザがありました。

みんな、このアザを見て、
本当に酷い暴力を受けたんだね…
これは、命が危険だよ!
と判断された腕。




見たい人だけ、見てください。




こんな腕になるくらいの暴力受けたのなら、
ちゃんと警察に相談に行って欲しいです( ・⌓・̥̥̥ )












では、行きます!

ちょっとグロいかもですヾ(・ω・`;)ノ


















暴行当日の病院受診の後。








その翌日、警察署に行く前。






どんどん日を追うにつれて、
アザはハッキリと紫になりました。






この右腕のアザがすべて消えるのには、

2ヶ月かかりました。。






ここまで御付き合い、
ありがとうございました(*・ω・)*_ _))ペコリン