今日は母の命日。


早いもので

一年が過ぎました。


あんなことがあったな

こんなことがあったな

と何かしら

思い出しています。


亡くなる数日前は

かなり意識が

混乱していました。


身体はかなり 

辛かっただろう母が

子どものような

あどけない顔で突然


「増田先生来た?」

と私に言いました。

何のことかわからず

返事せずにいると 


「新しい録音教材を

持ってきてくださるって。」


と私に言うのです。


先生は、今まで

何かしら症状の辛い方が

いらっしゃると


良くなるようにと

新しい録音教材を

作ってくださることが

たびたびありました。


母は末期の症状が

出てから

出毒素風呂や

智慧の脳天法起術などの

バージョンアップで


ずいぶん身体や心を

楽にしていただきました。


きっとそのことが

頭にあったのだと思いました。


先生が来てくださるのを

楽しみにしている母に


私は

「お母さんが寝ている時に

来てくださったよ。」


とこたえました。


母はお会いしたかったのか

ちょっと残念そうな顔をして

「そう」

と言って

また目を閉じました。


そのときの母の顔が

私は忘れられません。


母はもともと

医療に頼りたい人だったので

先生のおっしゃることに

反発することも

過去にはありました。


でも

辛いときに

いつも助けてくださったのは

先生でした。


二度目の

手術後に名古屋講座に

ヨタヨタと一人で 

向かった母を

心配して先生が

駅まで

迎えに来てくださったことも

ありました。


先生は常に

厳しいことをおっしゃいますが

一番心配してくださるのも

先生でした。


母は最後の最後に

心から先生を

信頼して

この世を去ることが

できたのだと思います。


私はそのことが

一番うれしかったです。


だから

あのときの母の

「先生に会いたかったなあ」

という表情の顔を

今でも思い出すのです。


増田庸文




母のひまわり