水無月トリビア
 
                                                       ◇まゆつば国語教室14
 
 すずかわさんのコメントで「水無月」という言葉が出てきたら、急にトリビアを語りたくなりました。どうでもいい小ネタを語りたがるのは、元教員の悪いくせ(;´Д`)
 
水無月は6月。梅雨の季節なのに「水の無い月」とは、これいかに。と思っていた人はいないでしょうか。ぼくは高校生のころ思っていました。
 
が、旧暦の水無月は、今の暦で言うと7月くらい。梅雨が終わるから、水が無くなるのもアリかな……とぼんやり思っていました。
 
モノの本によると「水無月」の語源は諸説あるようですが、ぼくが今、ナルホドと一番納得しているのは、次の説です。
 
「水無月」というのは、「水が無い月」ではなく、「水の月」という意味。
田植えが終わって、田んぼに水を引き入れる月。
──という意味らしい。
 
古代には、「水」のことを「み」と言いました。これは確か。「水戸(みと)」「垂水(たるみ)」など例はいくつもあげられます。
 
そして、現代の「の」に当たる言葉(連体助詞)として、「な」と「つ」がありました。
 
「つ」の方は、
「夕べのころ」→「夕つ方(かた)」
「目の毛」→「目(ま)つ毛」 ※目は「ま」が元の音
「国の神」→「国つ神(高天原系でない土着の神)」
「中の国」→「中つ国(天上でも地下でもない地上の国)」
などなど。
 
「な」の方は、
「目の子(中心)」→「目(ま)な子」
「目の尻」→「目(ま)な尻(じり)」
「水の戸」→「水(み)な戸」=港 ※水(み)が登場
「水の元(流れの元)」→「水(み)な元」=源
※臣下に下った皇族に「源」という姓を与えたのはこの意味。
「手の心(中心)」→「手(た)な心」=掌(たなごころ)
などなど。
 
つまり、「水無月」というのは、「水の月」を意味する「みなつき」に「無」という漢字をアト付けで当てただけ、というわけです。
 
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ちなみに、昔、6月30日には、一年の半分が終わったということで、厄払いをしました。
「夏越しの祓え」(なごしのはらえ)という行事です。
 
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
 
という百人一首の歌の「みそぎ」というのが、夏越し祓えの風景です。
 
このときに、宮中では、氷室(ひむろ)に蓄えていた氷を食したとか。
 
京都には、この季節に食べるものとして、「水無月」という和菓子があるようです。
 
(今回はなんか、いい感じにまとまりました (^^;))