コメとrice、ムギとwheat  TAKE 2
 
                         ◇まゆつば国語教室16
 
 
この話、皆さん、めんど臭くなってきたかも……。
小難しい話でもうしわけない <(_ _)>
でも、「高校の国語」では、とても大事なところなので、もう少し引っ張ります(^^;)
 
では、まずコメとrice。
一番の違いは……
 
 
 
 
 
はい。育ててから食べるまでの「段階」の問題ですね。
 
田んぼに植わっているのは「イネ」です。
脱穀した実が「コメ」です。
炊いて食べる段階のものは「メシ」または「ごはん」です。
 
日本人はこれらを区別しています。
(「ごはん」というのは、元は音読みですが、「ご」をつけてほとんど大和言葉になっていますね)
 
これに対して、英語はすべてrice です。
田んぼに植わっているのも、粒も、炊きあがったものも、すべてriceです。
 
日本人にとってコメは生活に密着したもので、どの段階のものかを区別して対応する必要があったから、別の言葉で呼んだんですね。
英米人にとっては、コメはさほど密接ではない。どの段階のものであっても、「要するにriceでしょ」という感覚で済ませているんでしょう。
 
余談くさいですが、最近は「食べる段階のrice」を、
和食 → めし、ごはん
洋食 → ライス
と無意識に区別することもありますね。
 
 
さて、それに対して、ムギ。
今度は西欧のほうが密接度が高そうですね。
はい。こちらは、「種類」に関して区別が細かいです。
 
小麦     → wheat
大麦      → barley
ライ麦    → rye
カラス麦  → oat
 
英語まちがっていたらごめんなさい(*´з`)
英語はすべて、まったく別の語ですね。
どの“麦”かで食べ方、育て方が違うから、つまり別の対応をしなければならないから、別の言葉で呼んだんです。

それに対して、日本語はすべて「麦」です。修飾語がついているけれど、「麦」であることに変わりはない。
「まあ、違っているようだけど、要するにムギなんでしょ」という感覚です。関心が薄いんです。
 
コメ ←→ rice    ムギ ←→ wheat
と1対1の対応で勉強してはいけない、ということだけでなく、
日本語を母語とする人たちと、英語を母語とする人たちでは、「コメやムギとのつながり方が違う」、だから「世界の分け方が違う」ことを学びたい、ということです。
 
       *    *    *    *    *
 
日本語は「雨」を細かく分類する、とよく言われますね。
 
はるさめ(春雨) つゆ(梅雨) さみだれ(五月雨)
しぐれ(時雨) ゆうだち(夕立) ひさめ(氷雨)
にわかあめ(俄雨) こぬかあめ(小糠雨) きりさめ(霧雨)
こち(東風) おろし(颪) やませ(山背)………
 
まだまだいくらでも挙げられます。
季節によって、降り方によって、すごくたくさんの呼び名があります。
このうち、例えば「はるさめ」「きりさめ」などは「あめ」に修飾語がついているだけですが、「さみだれ」「しぐれ」「ゆうだち」などは、「あめ」とまったく別の語です。
 
英語はどうなんでしょ。
rainに修飾語がつくのはいくつかあるんだろうけど、で、showerとか別の語もあるんだろうけど、日本語に比べると「分け方」はおおざっぱな感じがします(これも違っていたらぜひコメントお願いします(^^;))
 
「だから日本人は繊細な感受性を持った民族なんだ」と話を発展させる人たちもいますが、その結論はともかく、まちがいないのは、
 
日本は雨が多いこと。
古くから稲作を中心にして生きてきたこと。
稲作はたくさんの水を必要とすること。
日照りで雨が降らなかったり、逆に、実りの時期に大雨で日照が少なかったりすると、生き死にに関わること。
 
──それが、「雨」に対する強い興味の根っこにあるのではないかと、ぼくは思います。
生活のありようが、言葉を作っていくんですね。
(で、言葉がまた生活を作っていきます)